midashi_b 「松阪の一夜」で真淵と宣長が語ったこと

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 真淵が宣長に言ったことは、基礎を重視することの大切さであった。
『古事記』を読むためには「からごころ」を清く拭い、古代のまことの心を理解することが必要だ。そのためには古代の言葉を知ることから始めようと『万葉集』を研究したが、私はそれだけで終わる。あなたはまだ若い、いまから怠らず努めたら必ず『古事記』研究も出来るはずだと励ます。そして手紙で指導することを約束する。

「宣長三十あまりなりしほど、県居ノ大人のをしへをうけ給はりそめしころより、古事記の注釈を物せむのこゝろざし有りて、そのことうしにもきこえけるに、さとし給へりしやうは、われもゝとより、神の御典(ミフミ)をとかむと思ふ心ざしあるを、そはまづからごゝろを清くはなれて、古ヘのまことの意をたずねえづはあるべからず、然るにそのいにしへのこゝろをえむことは、古言を得たるうへならではあたはず、古言をえむことは、万葉をよく明らむるにこそあれ、さる故に、吾はまづもはら万葉をあきらめんとする程に、すでに年老て、のこりのよはひ、今いくばくもあらざれば、神の御ふみをとくまでにいたることをえざるを、いましは年さかりにて、行さき長ければ、いまよりおこたること、いそしみ学びなば、其心ざしとぐること有べし、たゞし世ノ中の物まなぶともがらを見るに、皆ひきゝ所を經ずて、まだきに高きところにのぼらんとする程に、ひきゝところをだにうることあたはず、まして高き所は、うべきやうなければ、みなひがことのみすめり、此むねをわすれず、心にしめて、まづひきゝところよりよくかためおきてこそ、たかきところにはのぼるべきわざなれ、わがいまだ神の御ふみをえとかざるは、もはら此ゆゑぞ、ゆめしなをこえて、まだきに高き所をなのぞみそと、いとねもころになん、いましめさとし給ひたりし、此御さとし言の、いとたふとくおぼえけるまゝに、いよいよ萬葉集に心をそめて、深く考へ、くりかへし問ヒたゞして、いにしへのこゝろ詞をさとりえて見れば、まことに世の物しり人といふものの、神の御ふみ説(トケ)る趣は、みなあらぬから意のみにして、さらにまことの意はええぬものになむ有ける」
          『玉勝間』「あがたゐのうしの御さとし言」
 真淵は先生としても立派だった。この後も、時には励まし、時には激しく叱り、また共同研究を勧め、師の説であっても誤りに気づいたら訂正するように勧めた。


>>「共同研究の勧め」
>>「師の説になづまざること」



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