midashi_b 真淵先生の書簡を贈る

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 宣長は所蔵する真淵書簡を、知人に贈っている。その間の事情を次のように語っている。

「宣長、県居ノ大人にあひ奉りしは、此里に一夜やどり給へりしをり、一度のみなりき、その後はたゞ、しばしば書かよはしきこえてぞ、物はとひあきらめたりける、そのたびたび給へりし御こたへのふみども、いとおほくつもりにたりしを、ひとつもちらさで、いつきもたりけるを、せちに人のこひもとむるまゝに、ひとつふたつととらせけるほどに、今はのこりすくなくなんなりぬる」
 (「おのれあがたゐの大人のアをうけしやう」『玉勝間』巻2)
 たった一度しか会わなかった真淵先生の指導は、書簡と質問状により行われた。その数はずいぶん多かった。大事にしていたが、ぜひ分けてくださいと頼まれたので一つ二つと上げる内に残り僅かになってしまった。

 田中道麿からも懇望されたので3通差し上げた。
「岡部翁染筆物之事、短冊等之類ハ一紙も無御坐候、書状ハ先年数十通有之候ヲ、一通もちらさず取置申候処、段々方々より所望被致、遣し申候而、今ハ殊外すくなく相成候ニ付、随分秘蔵いたし申候、夫故なみなみの人之所望ニハ遣し不申候へ共、貴君ニハ格別之御深志ノ御事ニ候ヘバ、三通授与仕候、随分御秘蔵可被成候」
            (安永10年3月18日付田中道麿宛書簡)
 『玉勝間』の回想とほぼ同じだが、真淵が没したのが1769年、道麿に贈ったのが1781年、約12年でかなり散逸したことがわかる。数十通あったそうだが、現在、本居宣長記念館所蔵の真淵書簡は8通。それ以外、個人所蔵などが9通。合計17通。田中道麿が大変熱心な人だったから贈ったのだろうが、一度に3通もプレゼントするとは気前がいい。

 また、1通は、経亮のもとに行っている。
 経亮の礼状が、
「本居宣長加茂真淵のみつからかけるふみをおくりける時よろこひにつかはす」(天明8年8月28日付)である。
 これに対する宣長の返事が「橘経亮に答へたる書」で共に『鈴屋集』に載る。その中に、やがて行われるだろう新御所への天皇の御遷幸を拝見に行った折の対面を楽しみにすることが書かれる。

「賀茂真淵書簡 」

「賀茂真淵書簡 」


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