midashi_b 町の豊かさ

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 当時の松坂の様子を忍ばせる資料がある。これは、「江戸末期に於ける生活の一断面」(『佐佐木信綱随筆集 雲』京都印書館、昭和23年12月刊)に、殿村家旧蔵の大平書簡が紹介されるものだ。
 町人の町・松坂から武士の町・和歌山に居住した大平のとまどいがよく伝わる。

「拙方くらし方。八畳敷二間、十畳敷一間、台所八畳ト二畳敷ト、外ニ四畳二つ、物おき。又、二畳机の間。予、妻、娘、男児二人、上五人、下人一人、六人ぐらし。
 世領十八石。外ニ鈴屋へ三人ふち遣ス。
 右之通ニて、めしたき、妻ト娘ト、家のはきそうじ、同人。
  使ひあるき、かひもの類、湯風呂たき、庭はき、家来。 右之通ニて、まづ松坂の同心町ノくらし方ニさも似たリ。松坂のだんな衆、中商人ノくらしよりは、はるかにまづしき物也。
 松坂の江戸店持ト、わか山の千石以上ノ人トハ、くらし方同様也。
 三百石以下は、松坂の同心ト同じ事也。
 亭主か、若旦那か、米つき、臼へ五升づつ入てつく也。風呂わかし、毎朝ノ庭はき、草とり。
 妻、娘は、糸とりをしてうる也。
  また、亭主は内職とて、釘ヲこしらへ売るもあり。はりがねを引もあり。
  舟ニのりて、ナグサミニハアラズ、七八里沖へ出て魚をつり、網にて
  とりて売るもあり、
   とりをかひて売るもあり
   金魚をかひて売るもあり
   あんどう、たばこぼんをこしらへ売るもあり。
 右之通りニて、平日は御紋付の肩衣ニて歩行スル也。衣服はつむぎ以上、
 きぬ羽二重なり。
  侍一人宛つるゝもあり。
  妻、娘は、ちりめん羽二重、御紋付又は自紋にて、下女一人つれて、
 日がささせて歩行く也。
 百石以下十二三石どりも同断也。
  自ノ宅ニては、やぶれせんたく物ヲ着用也。つゞれヨリモオトル体也。
   くらし方ノ心持ハ、松坂ノばくろ町、新座町、瓦町のしやく屋がりの
    出入りの者ニもおとれり。
 七八百石千石以上でなければ、こし下げ、きん着、たばこ入の風雅ヲ楽ム場
 ニハいたらず。庭ノ樹ナドヲ楽ムモ、七八百以上ノコト也。
 五百石ぐらゐニては、中々そこどころではない。
 此書付、安守公ト健亭公へ御見せおき可被下候。大平」

この書簡は『心の花』34巻6号、『竹柏園蔵書志』P582で紹介される。


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