midashi_o.gif 馬嶋明眼院(マジマ・ミョウゲンイン)

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 寛尾張国海東郡馬嶋(愛知県海部郡大治町)にあった。馬嶋流眼科で知られる。祖は南北朝時代の眼科医・馬嶋清眼(?〜1379)で、もとは医王山薬師寺の塔頭であったが、13世の時に明眼院と改称され、眼科治療院として隆盛を極める。春庭が治療を受けた頃の様子は『尾張国名所図会』に載るが、本堂に向かって右手に「男眼疾寮」として「松部屋」など5棟、「女人眼疾寮」として「新桃部屋」など8棟、また別に「療治場」や茶店まであり、規模が大きかったことがうかがえる。近代にいたり寺の規模は縮小したが、馬嶋流眼科の伝統は受け継がれ、子孫の「馬島氏」は眼科医として高名である。
 馬嶋は、宣長門人・大館高門の家からも5km程で、何かと春庭の世話をしたであろう。  大垣の重門も見舞った。
  「馬嶋逗留中は、遠方之処度々御尋被下、何より之品々被贈下候由、度々御懇情之至不浅、忝奉存候」(寛政3年11月13日大矢重門宛宣長書簡) 宣長の悲しみは門人の悲しみでもあった。



>>「大館高門」
>>「大矢重門」


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