midashi_o.gif 間に合わなかった入門

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 伴信友(バン・ノブトモ)は、若狭国(福井県)小浜の人。宣長没後の門人と言われる。

 入門を決意した信友は、村田春門に仲介を依頼した。春門は、伊勢国白子(三重県鈴鹿市)出身で、当時は江戸に住んでいた。
 ところが、時既に遅く、入門の願いが松坂に着いたのは、宣長が亡くなった後であった。信友の嘆きの深さに、春門は気の毒になり、所持していた宣長像の写しを、藤林誠之に模写させ、大平の賛を貰い、信友に届けた。そのことが、伴信友所蔵の宣長肖像の軸に、村田春門の由来書きとして書かれている。文章の調子からは、あるいは、春門の手続きが遅れたのも一因かもしれない。
 いずれにしても、当時信友は江戸と小浜を往復していたし、一方、春門は江戸にいたので、画像の複写の作成は協議しながら慎重に進められたのであろう。

【資料】
 伴信友所蔵の宣長肖像の軸の村田春門由来書き。
「大人の御もとへ名豆支を奉らん事を乞はれけるまゝに、とりかへしは享和元年十月なりけり。其文とゆきちがひて、九月二十九日に大人かむ上りましつるよし大平翁のもとよりつげこされしかば、なげきかなしびをしがり給へどかひなし。かゝりければ、せめておもひでに、春門が早く大人の鏡にむかひて、みづからものし給ひしといふ御像をうつさせてもたりければ、それを藤林誠之主にあつらへて、ふたたびうつさせて、うへにかき給へりける歌を大平翁にたのまれける。かきておくられしは、あくる年の秋の頃なり。」
       『伴信友』石田熊三郎(『伴信友全集』別巻収載)より。



>>「伴信友」



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