midashi_v.gif 松平康定の鈴の歌

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 松平康定から贈られた歌は今、故翁贈答歌と双幅(ペア)に表具されて記念館に伝わる。

(1)遠山松絵黄色紙。
本紙寸法、縦17.0cm、横19.2cm。
【歌】「かみつ世をかけつゝしぬぶ鈴の屋のいすずの数にいらまくほしも、康定」。

(2)四紙貼交。
(第1紙)桜絵黄色紙。本紙寸法、縦17.1cm、横23.2cm。
【歌】「文月ばかり桑名の宿りにて鈴屋の翁にたいめして、うみ近きやどりは涼しおなじくはながゐせよをち夜はふけぬ とも、康さだ」。

(第2紙)楮紙。本紙寸法、縦18.5cm、横10.5cm。
【歌】「かへし、沖津波君たちいなばすずしとて長居しぬともかひあらめやも、のりなが」。

(第3紙)胡蝶絵白紙。本紙寸法、縦17.5cm、横23.2cm。
【歌】「鈴屋の翁こゝちわづらひけるよし聞きて、康定、老人のやまひしますときゝしより心のゆきてとはぬ 日ぞなき」。

(第4紙)楮紙。本紙寸法、縦16.3cm、横13.0cm。
【歌】「松平康定主伏見より歌よみてとぶらひ給へるかへしによみてまゐらす、とはるゝに老も病もわすれけり君が言葉やいく薬なる、宣長」。

【箱書】 「松平周防守殿鈴歌、一幅、同殿故翁贈答歌、一幅」、蓋裏「此康定君は石見国浜田城主松平周防守殿にて故翁の教子なれば寛政八年辰七月江戸に下られけるに桑名の宿りにまねかれて参られける時の歌又其後上られけるをり参るべきよしいひおこせられたれどいさゝか病ありてえものせられざりける時の歌どもなり伏見よりのはかたはらちかくさぶらふ人の書たるなるべし、今一は故翁の鈴をもてあそばれければ隠岐国造の家に古くつたはりたる形を鋳させておくられけるにそへて給はせける歌なり、こたびよそほひ置つるによりていさゝか其よししるしおきつ、春庭」(美濃代筆)。

【参考】  寛政7年8月13日、石見浜田藩主松平康定侯(1747〜1807)が参宮の途中松坂に泊り、宣長の『源氏物語』講釈を聴講した。 (1)は主君の来訪に先立って家臣小篠敏が主君の命で「駅鈴」に添えて持参した歌。(2)は、寛政八年、康定侯が江戸に下向する途中、桑名の宿に宣長を招いた時と、帰国の時の再度の招きを宣長が病気を理由に辞退した時の贈答歌。桑名行きの資料が「寛政八年桑名行勘定書其他書付」である。


「松平康定鈴歌」

「松平康定鈴歌」


>>「4 浜田の殿様、宣長と会う」



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