midashi_o.gif 門人(モンジン)

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 門人とは弟子のこと。宣長の門人を「鈴屋門人」、「鈴門」等と呼ぶ。『授業門人姓名録』には、第1番小津正啓から第490番平田篤胤までの名前が載る。

 宣長は最初から門人を集め、謝礼を貰うなどということは考えていなかった。だから『授業門人姓名録』も、安永3年から書き始め、それ以前は安永2年以前分として一括してある。漏れもある。わざと記載しない人もいる。例えば松平康定などは「謝儀」を納めていて、門人としての資格は有しているが、名前がない。また没後門人としては伴信友を挙げなければならないが、どういう訳か平田篤胤が載り、しかも消したり再度書いたりヤヤコシイ事情があったようだ。

 また、門人録にもいくつかあり、若干記載が異なる。帆足長秋の女「京」は、帆足長秋の写本のみの記載である。では長秋が私に書いたのか、というと、享和元年夏の宣長の多忙ぶりからは、自己申告も含めた方が良さそうだ。

 門人録で現在最も信頼できるのは、『本居宣長と鈴屋社中』(鈴木淳・岡中正行・中村一基編著・錦正社)の「校本『授業門人姓名録』」である。本書には、入門しているはずなのに名前が漏れた人なども、門人録とは別に集められていて、大変役に立つ。
 階層別では、町人166人、農民114人、神官69人、医師27人、僧侶23人、武士68人、女子22人、その他2名、合計491名(伊東多三郎氏の計算による)。合計人数の違いは使用門人録による。
 地域では陸奥国から日向国、肥後国まで、つまり青森県から宮崎県、熊本県に及んでいる。


『授業門人姓名録』(自筆本)
『授業門人姓名録』(自筆本)




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(C) 本居宣長記念館


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