文政8年(1825)5月29日〜明治33年(1900)8月26日、享年76歳。旧姓高尾。幼名玖之助。通称九兵衛、健亭。号宗朝、古好斎。四日市(現四日市市)高尾家に生まれる。母牛は飛騨の娘。15歳で同家相続、18歳より上京し表千家・堀内宗完に茶道を習う。嘉永2年(1849)、25歳帰郷。同年飛騨没。嘉永6年(1853)5月5日、29歳で有郷の後を嗣ぎ本居家4代当主となる。慶応2年(1866)に松坂国学所教導。明治6年(1873)、百枝神社祠掌となる。以後、神職の傍ら茶道を指導。信郷は茶道全般に造詣が深く、国学への関心は薄かった。しかしこの時代に、松坂国学所創設、宣長61年祭、和歌山本居家からの分離、山室山神社創祀、佐々木弘綱招聘等重要事件が続いた。茶会記『会席附』5冊(安政4年から明治18年)、自作の茶道具、『信郷詠草』3冊(嘉永6年から明治31年)等が残る。長男信世は高尾家を相続、次男清造が本居家5代となる。
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