midashi_b 本居家は大騒動(文政6年) 

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宣長没後22年目にあたる文政6年(1823)、
本居家周辺は大騒動の連続だった。

年初に、和歌山では本居大平の養子・富樫広蔭が
大平を見限って、自ら縁組みを解消、
そしてその足で松坂の春庭宅を来訪、勉学に勤しむことになる。
周囲の反発などどこ吹く風。広蔭の松坂での楽しい日々は、
荒井真清宛5月18日書簡(本居宣長記念館所蔵)
で生き生きと語られる。
春庭もたいそう歓び、自分の養子とすることを望むが、
大平に愛想を尽かせて春庭に乗り換えでは、
さすがに周囲も反対し、結局実現しなかった。
『詞の通路』執筆は広蔭の協力の賜物。
春庭の手足となってその文法説の普及に力を尽くした。

7月には平田篤胤がやってきた。まず和歌山で大平に対面。
宣長使用の筆、「本居宣長七十二歳像」拝領し、松坂へ廻り春庭に会い山室山に墓参。
篤胤を迎えた京、和歌山、松坂の様子は、
『毀誉相半書』にまとめられる。
そんな騒ぎの中、九州から筑前の国学者・伊藤常足一行が松坂を訪れた。
旅の様子は、同行した米屋清蔵の『大熊言足紀行』に詳しい。
一行はそんな騒動を知ってか知らずか、充実の日々を送っている。



>>「『筑前の国学者 伊藤常足と福岡の人々』」
>>「殿村安守」
>>「平田篤胤」
>>「本居春庭」



(C) 本居宣長記念館


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