紫式部ムラサキシキブ)

 天延元年(973)頃〜長和3年(1014)以降。父は藤原為時、母は藤原為信の女(ムスメ)。宣長の愛読書『源氏物語』の作者。『源氏物語玉の小櫛』巻1「紫式部が事」に出自などを記し、「藤式部」が「紫式部」となったのは「一条院の乳母の子の縁」、「縁」(ユカリ)から「紫」となった説を推す。また、歌の中で最も尊重したのが定家なら、和文のお手本は紫式部の『源氏物語』であった。

「倭文ハ源氏ニ過ル物ナシ、源氏ヲ一部ヨクヨミ心得タラバ、アツハレ倭文ハカヽルヽ也」 『排蘆小船』(宣長全集・2-53)
「紫式部」像に歌を詠み賛をしたこともある。

   紫式部
言の葉に 染めずはいかで むらさきの 深き心の 色は見るべき
ことのはは たぐひなき名の 立田姫 いかに染めける 錦なるらん

   紫式部の文机によりて書見たるかたに
から人に わか紫の あやころも 見せばや染し ふかきこころを

 『源氏物語』を尊重する宣長が、その作者へも深い敬意の念を抱いていたことが分かる歌である。


> >『源氏物語玉の小櫛』
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