midashi_o.gif 村田橋彦は真淵学伊勢出張所

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 村田橋彦、享保12年(1727)〜寛政11年(1799)5月27日。享年73歳。伊勢国白子の人。小笠原家の江島代官か船問屋総元締とでも言うべき格式の家であった。
 松坂で宣長と対面した翌日、真淵は橋彦宅に泊まったようだ。真淵の高弟・村田春海と同族であったことから、真淵の著作も多く所持し、また真淵亡き後の県居からその遺著を持ち帰り宣長等に貸したこともある。契沖同様、真淵の本も入手困難だった。

○『語意・書意』奥書 「明和八年四月やからなる江門邨田春海の許より加茂老翁自筆の本を得て写しぬ、邨田橋比古」(岩波文庫版)。

○『祝詞考』 「しろこの村田七右衛門といふ人岡部をぢが祝詞考もてるよし、此人の名かねても聞し事は侍りながら、いまだしる人には侍らず、いかでかの考かりて給はれかし」明和8年(1771)11月2日付宣長差出谷川士清宛書簡。
「白子より、のりとの考二巻参り候よしにて、見せ給はり、いといとうれしく思ひ参らせ候也」明和8年12月10日付宣長差出谷川士清宛書簡。
「祝詞考長々御許借被下、忝写取校合畢申候而、大慶不斜候」安永3年9月23日付宣長差出村田橋彦宛書簡

○『応要稿』奥書 「この一巻はちかきころ白子なる村田の橋彦といふ人の江門に物せしほと岡部の家にもとめえてもてこし書ともをこれかれ本居うしの許に見せにおこせたるを大人のみつからもうつしおのれらにもうつせとてわかちかし給へる中の一くさになんあるをまことにうはかきのことくかの県居翁のもとへうたかはしきことともをかたかたよりたつね給ひしをこたへおくられしをりをりの草のまゝと見えてうちけしうちけしかきあらためなどせし所々おほかるを一文字も私のさかしらはせしとてたゝ本のまゝになんうつしおきつる、稲掛茂穂、安永五(1776)年六月五日」※茂穂は後の大平。真淵没後7年後。

真淵差出橋彦宛書簡

真淵差出橋彦宛書簡


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