midashi_o.gif 村田光庸(ムラタ・ミツモチ)

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 宝暦6年(1756)〜天明4年(1784)12月22日。享年29歳。通称中書。法号橙庵文貞処士。松坂住。母は宣長の実の祖父・小津孫右衛門道智の甥、小津道円の女で、宣長とは姻戚となる。安永2年以前の入門。第2回目の『源氏物語』講釈を聴講した。医業を営み、宣長もその依頼で「拝薬神詞」や、「むらたの光庸がこへるに書てあたへたる桜花詞」(共に『鈴屋集』)を書き与える。病弱であったのか『済世録』にも患者としてしばしば名前が挙がる。

>>「代表的な門人 松坂近郊編」
>>『済世録』



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