長井家は松坂湊町の豪商。先祖は武士で、永正8年(1511)、京都船岡山の合戦で討ち死にしたと伝える。その後、商人となり、最初は大名貸しや郷貸しを、やがて木綿を商った。 屋号は「大和屋」。江戸大伝馬町にあった新宅「長井惣兵衛店」の様子は『江戸名所図会』にも描かれる。松坂御為替組にも加入し、藩経済の一翼を担う。
この家に宣長の次女・美濃は嫁いだ。夫の名前は尚明。婚礼の時のごちそうは『美濃婚儀録』に宣長の筆で記される。
やがて夫婦は長井の同族・大泉家を嗣ぎ、その後やはり同族の小津家に移る。
写真は、来迎寺にある「長井家先祖暦(歴)代聖霊」碑。向かって右脇に、宣長の歌と、それを染筆した本居信郷の詞が書かれる。
「草のはら 思ひこがれて たづぬれば 跡はきえせぬ 船岡の露 宣長
定規居士永正八年船岡山の戦に討死せられし事など曾祖父翁此歌の詞書に委しく物し置れたれど事長ければここにはぶきつ、万延元年八月、長井道孝主の求によりて、本居信郷書」
万延元年は西暦1860年。信郷は宣長から4代目になる。
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