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官位のない宣長の署名を長くするのは、自分の出自を書くしかない。
宝暦から明和にかけて奥書に長い署名がいくつか見える。
宝暦元年12月上旬「伊勢意須比飯高住本居栄貞」
(『大日本天下四海画図』袋題)
宝暦2年11月21日「神風伊勢意須比飯高/華風子本居栄貞」
(『枕詞抄』※これは追記したの可能性がある)
宝暦3年10月25日「神風伊勢意須比飯高/本居栄貞」
(『古今集序六義考』)
宝暦3年11月19日「神風伊勢意須比飯高/本居栄貞」(『讃岐典侍日記』)
宝暦4年3月2日 「神風伊勢意須比飯高/本居栄貞」(『古今余材抄』)
宝暦5年3月末つ方「神風伊勢意須比飯高/清春庵本居宣長」
(『武者小路儀同三司謌』)
宝暦6年6月2日「伊勢飯高/春庵本居宣長」 (『春秋左氏伝』)
宝暦6年7月26日「神風伊勢意須比飯高/本居春庵清宣長」
(『日本書紀』)
宝暦7年5月9日「神風伊勢意須比飯高/蕣庵本居宣長」 (『万葉集』)
宝暦7年6月8日「神風伊勢意須比飯高/清蕣庵」
(『潅頂唯授一子之大事』)
宝暦14年正月12日「神風伊勢意須比飯高/春庵本居宣長(花押)」
(『古事記』)
明和2年2月晦日「神風伊勢意須比飯高郡/蕣庵本居宣長(花押)」
(『紫家七論』)
伊勢人としての自覚の表れであろうか。
京都から帰郷後はほとんど使われなくなり、署名はシンプルになっていく。
>>「意須比」
>>「名前」
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