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宣長さんの名古屋地図

 宣長の生涯で、京都が学問形成期の重要地点なら、学問普及の最重要地点は名古屋であるといってもよい。
 先ず田中道麿の登場である。篤学で、万葉の鬼とまで言われた道麿が入門することで、宣長学は新たな展開を見せる。道麿は自分の門人を、結果として宣長に譲る。その中には、大館高門、加藤磯足や横井千秋もいたという。この人たちの加入で、門人層が厚みを増し、『古事記伝』を始め著作の出版が次々に具体化した。その時最先端で活躍したのが版木師・植松有信であり、書肆永楽屋東四郎であった。また、千秋は宣長に『古今集遠鏡』の執筆を依頼したり、また尾張徳川家への仕官を画策したりするが、人見◎邑等の妨害でことは成就しなかった。
 次に、宣長と名古屋の係わりを略年譜で示そ。

安永6年(1777) 48歳
spacer 7月20日  田中道麿来訪し初めて対面する。道麿感動して帰る。
 
安永9年(1780) 51歳
  1月 田中道麿再び来訪、門人となる。
 
天明4年(1784) 55歳
  10月4日 田中道麿、名古屋の常瑞寺で没す。享年61歳。大館高門入門する。
 
天明5年(1785) 56歳
  名古屋の横井千秋入門する。年の暮れより『古事記伝』出版計画が具体化する。
 
天明6年(1786) 57歳
  10月14日 『古事記伝』巻2版下を名古屋の版木師に送る。
  10月23日 『古事記伝』巻19手見せ彫り柏屋から届く。
 
天明7年(1787) 58歳
  4月14日 真福寺本『古事記』で校合。
 
寛政元年(1789) 60歳
  3月 名古屋行き。春庭、大平同行。目的は講義と、『古事記伝』刊行に尽力している横井、鈴木真実らと対面。版木師・植松有信入門。帰路、鈴鹿山辺の御井、能煩野等探索。宣長の講義を聴き名古屋の人感動する。
 
寛政3年(1791) 62歳
  春頃 春庭(29歳)眼病にかかる。
  8月10日 春庭、眼病治療のため尾張国馬嶋・明眼院へ行く。
  11月10日 春庭帰宅。
 
寛政4年(1792) 63歳
  閏2月22日 『古事記伝』第2帙(巻6〜11)刊行。
  3月5日 名古屋行き。吉川義信宣長像を描くか。
  3月27日 帰宅。春庭も同行し、明眼院で再治療し4月23日帰宅。
  12月3日 紀州侯に仕官(五人扶持)。
 
寛政5年(1793) 64歳
  1月18日 『玉勝間』起稿。
  1月24日 『古事記伝』巻34脱稿。『古事記』中巻部分の注が完成。
  3月10日 上京。大坂、名古屋を経て4月29日帰宅。各所で講義。京都では芝山持豊卿に対面する。
  9月中旬 『古今集遠鏡』稿本既に成る。
 
寛政6年(1794) 65歳
  3月29日 名古屋行き。同所で講釈をし4月26日帰宅。名古屋門人・鈴木朖も同道するか。
  5月17日 遍照寺歌会。鈴木朖出席し、会の様子を漢文で記録する。


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