中山美石(ナカヤマ・ウマシ)

 安永4年(1775)10月10日〜天保14年(1843)8月6日 享年69歳。大平門人。通称、弥助。号、梅園(ウメゾノ)。三河吉田藩士。文化2年(1805)8月の大平が吉田(現在の豊橋市)に来訪時に入門。同9年、藩主の命で執筆中の自著『後撰集新抄』に師の序を貰う。また同書を藩主へ献上した際には師の大平にも賜物があった。同14年、藩校時習館教授となり特命で国学を研究。気難しい性格であったが、学識は豊かで講筵も巧みで、代々の藩主の信任を得る。大平、内遠からも信頼され、義門の春庭批判の件で尽力し、大平末子楠吉(永平)を天保6年4月より10年正月まで預かり訓育した。著書に『梅園文集』、『三河国吉田領風俗大概』等があり、また、鈴木朖の『少女巻抄注』への書き入れが残る。

【参考文献】
「中山美石年譜考証」藤井隆『文莫』12号。



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