宣長さんは、患者を見る限りでは大人が多いし、どうも内科中心だったようだ。
よく宣長さんは「小児科医」だといわれるのは、医学の先生が武川幸順という有名な小児科医だったからだろう。
また、「小児胎毒丸」とか「家伝あめぐすり」という薬を調合して販売していたことも一因かも知れない。
既に当時から「小児科医・宣長」という見方もあったのだ。
上田秋成の『胆大小心録』(異文)にも「ある人、古事記伝を見て、是は坊主落か、と問はるゝ。いや小児いしやの片店商ひしや、といふたれば」、今の言葉に訳すと、ある人が『古事記伝』を見て、これは僧が書いたのかというので、いや小児科医が学者を兼業しているのじゃと言ったところ、という意味。
「製薬の広告案と処方の覚」という巻子がある。
内容は、
- 「【加味】建中飴薬」(春庭筆、宣長加筆。天明3年癸卯正月の日付あり)。
- 「精製六味地黄丸」。
- 「(小児胎毒丸広告)」(木版)。
- 「(むしおさへ広告)」(木版)。
- 「天明三年癸卯十二月製六味丸」。
- 「天明六年丙午八月製六味丸」。
- 「道中薬」。
- 「目掛薬方」。
- 「つうふう薬」。
- 「外科正宗咽喉門金鎖匙」。
- 「(寛政四年五月調合覚)」。
- 「癩病ノ妙薬」。
- 「(薬方覚)」。
- 「(天明四年八月中里新三郎口中薬)」。
- 「抱龍丸」(寛政5年2月の日付あり)。
- 「中里弥五郎地薬」。
- 「(おしゅん調合覚)」。
- 「(与左兵衛に教える浴湯方)」。
- 「(薬方)」。
-
「煉薬」。
ここに集められたのは、宣長が調合した薬や、また宣長考案の薬の覚えのメモだ。中には門人・中里新三郎(常岳)や弟(与左兵衛)、妹(しゅん)のためのものも見え、医療活動の実際を知ることが出来る。それにしても、道中薬と言うから旅行の時の薬、目薬、ハンセン氏病の薬、口の中の薬(うがい薬?)、入浴剤(18)や外科薬(10)と、実にバラエティーに富む。これでは、何医かということは簡単には言えないね。
「入浴剤処方」
|
>>「上田秋成」
>>『胆大小心録』
>>「堀元厚」
>>「武川幸順」
>>「宣長の調合した薬」