midashi_g.gif 南海の鎮(シズメ)・和歌山城

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 「和歌山は南海の鎮」とは10代藩主治宝の言葉だが、その拠点が和歌山城である。
 天正13年(1585)、鉄砲で最後まで抵抗した雑賀(サイカ)衆を屈服(この時には氏郷も従軍している)させた秀吉が、自ら縄張りを指揮し、城造り名人の藤堂高虎らに築城させた。その後、秀吉の弟秀長が貰い、家臣桑山重晴に城代を勤めさせた。慶長5年(1600)年には浅野幸長(ヨシナガ)が入城。そして元和5年(1619)、家康の10番目の子ども頼宣(ヨリノブ)が自ら志願し西国の平和を守るため入城した。これが紀州徳川家初代南龍公である。因みに、松坂の黒田新田の開発なども南龍公の時。
 だが、その和歌山城も、幕末に落雷で天守炎上、再現されたものの太平洋戦争でまた燃え、今、当時の建物は、岡口門と追廻門を遺すだけである。ただ、宣長当時の城の様子は『紀伊国名所図会』に載っている。上には「鈴屋集、名草山より仰ぎみて、はろばろと わかの浦わの 磯山に つきのよろしき 若山の御城 本居宣長」と書かれている。

 

『紀伊国名所図会』「和歌山城」
『紀伊国名所図会』「和歌山城」

『紀伊国名所図会』「和歌山城」


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(C) 本居宣長記念館


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