midashi_g.gif 奈良

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 宣長と奈良の関わりは飛鳥、吉野が中心で、北の方、例えば平城京一帯はあまり知られていない。
 宝暦7年(1757)10月3日、京都遊学を終えた宣長は帰郷のため清兵衛と供2人を伴い京を出立し、木津川を渡り、般若坂を越え大和に入る。奈良ではまず東大寺に参詣した。大きさでは京都の方が大きいが、再興間もない奈良の大仏はきれいで、また場所も景色のよいところと感想を述べている。また春日大社では、灯籠の数や、近くの木にいた猿の数に驚き、また鹿と戯れている。興福寺は享保2年(1717)の大火で焼失したままであったが、猿沢の池周辺の景色には「えもいはずすぐれたる景色也」と驚き、「我がみかど六十余国のうちに、此興福の南大門を出たる所の光景にならぶ所はなしとかや」と書き、南大門があったならさぞ立派な景色であろうと嘆いている。
 翌日はまだ暗い内に出立し、提灯の明かりで軒下の鹿を見て驚き、もっとゆっくり奈良をみたいものだと嘆息。その後、三輪で昼を食べて、三輪明神、長谷寺に参詣、初瀬に泊った。

 次の奈良訪問は、享和元年(1801)の和歌山からの帰途で、2月26日、大坂から立田山を越えて奈良に入った。法隆寺を参詣し、奈良に出て春日大社、東大寺、興福寺に参詣。その夜は奈良泊まり。次の日は眉間寺に参詣するが、この時の関心は専ら古墳である。石上神宮に参詣し、長谷を経て大和に別れを告げた。



> >『菅笠日記』



(C) 本居宣長記念館


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