midashi_b 隠されたニュースソース

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 学問の世界を開かれたものにしよう、これが宣長の目標であった。そのため、積極的に門人の説を採用し、その人の名を明記し、著書の中で紹介した。あるいは、『万葉集』のように自分の書き入れ本に、例えば「道麿云」、「大平云」などと、各人の説を紹介している。

 情報源も提供者の名前を原則として書く。
 ところが、世の中にはいろいろな事情で内緒にして欲しいという場合もある。藩士、今で言えば公務員だ。職務上知り得た情報は漏らしてはいけない、というか当時の場合は藩の中のことは原則秘密主義であった。

 寛政3年(1791)11月4日付横井千秋宛書簡で宣長は次のように言う。

「記伝板本五ノ巻追考ノ内、書改メ之事、別紙ニ申上候通、御直させ可被下候、右ハ、筑前ノ事近来国禁ニ而、国中ノ義ヲ他国人へ申聞候事、御法度ノ由、夫故細井氏ノ姓ヲ出し申候事、甚迷惑ニ存候段、細井氏より石見小篠大記へむけ申参、右細井氏ト申事削呉候様ニ申参候故也、但し是迄摺出し申候本ハ削リ申スニ不及候」
 そんな秘密にしなければならないことか、と『古事記伝』の該当箇所を覗いてみても、「女嶋」には、姫島の大きさと戸数、またそこには姫大明神が祀られていてそこの女が出産する時に難産がないということが記されるだけである。また「両児嶋」はただそれに該当しそうな嶋郷というところがあり、矢の竹が多く大きな蛇が住むと書かれるだけだ。何も隠す必要はないようだが、藩内のことは何でも秘密なのだ。


>>「細井金吾」
>>「宣長の使った古典のテキスト」の『万葉集』



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