midashi_o.gif 西依成斎(ニシヨリ・セイサイ)

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 元禄15年(1702)閏8月12日〜寛政9年(1797)閏7月4日。享年96歳。名正固、後に周行。通称、門平、後に儀平、儀兵(平)衛。肥後国(熊本県)玉名郡に生まれ、前原丈軒、京都で若林強斎に学ぶ。
 寛保2年、京都の小野鶴山(強斎女婿)の弟子となり、鶴山が若狭小浜藩に招かれた後は、強斎の家塾「望楠軒書院」の講主を務めた。
 また、二条宗基の知遇を得て、二条家の学舎の創建に関わった。

 弟子に古賀精理がいる。
 隠岐国造・幸生も門人で、その関係で駅鈴調査を依頼された。
 谷川士清とも交友があり『日本書紀通証』の序を書くが不採用となった(「士清をめぐる人々」北岡四良)。
 宣長門人・千家俊信も最初は成斎の門人であった。
 また、寛政12年(1800)6月に来訪した興田吉従も最初は成斎の門人であった。
 享和元年に宣長門にはいるが、その間の事情について、宣長は次のようなことを書いている。

「西依儀兵衛高弟奥(興)田十左衛門吉従ト云ハ、若狭ノ儒者ニテ当時西依ガ京ノ宅ニアリテ、カノ学ヲ伝フ、コレモ垂加流ナリシガ、後尺ヲ見テソノ非ヲサトリ当時モツハラ古学ニナレル由也」
  (『文通諸子居住所并転達所姓名所書』・宣長全集・20-336)。



>>『文通諸子居住所并転達所姓名所書』
>>「谷川士清」



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