midashi_v.gif 宣長の隠岐の歌

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「隠岐の嶋弓矢かくみて出ましし御心おもへば涙しながる」
「おもほさぬ隠岐の出まし聞くときはしづのを吾も髪さかだつを」                       『玉鉾百首』「あまり歌」


 『玉鉾百首』は、寛政4年(1792)10月15日付、千家俊信宛書簡で「道ノ事ヲ詠候、古風ノ百首也」というように、古道の趣旨を万葉調の古風で詠み、万葉仮名で表記する。ここでは読みやすいように表記を改めた。

 この歌は、承久の乱(1221)で、鎌倉幕府により後鳥羽上皇が隠岐に配流されたことを憤った歌。隠岐から離れるが次の歌と三首連作となる。

「鎌倉のたひらのこらがたはれわざ蘇我の馬子に罪おとらめや」

 本書の完成までを見てみよう。 天明6年(1786)閏10月4日、板下出来、柏屋に送る。 同月19日、西御役所から出版許可。(自筆稿本表紙「天明六歳午閏十月十九日西御役所御免」)
 12月上旬、校合刷りが届く。
 天明7年2月4日、板本が届く。

 本書も広く普及した。徳川家康を詠んだ歌を削ったりした本や、また明治3年に、 「本末の歌」を併せて青柳高鞆、井上頼圀が刊行した本がある。
 また、注解の試みも早くからあった。最初は横井千秋で、天明8年8月29日付宣長宛書簡で、「本書は古学の入門書として手頃だから、一首ごとに先生の著作の関連するところを引き抜いたりしていたら、5,6冊になってしまった。そんなことで作業が延びている」と報告している。その後も宣長、千秋の書簡に作業の進行が書かれるが、完成したかどうかは不明。
 また、大平が執筆した『玉鉾百首解』2冊は、寛政8年(1796)9月に成稿。同11年に永楽屋などから刊行された。序文は千家俊信と、紀伊国玉津島神社橘房雄が執筆した。



(C) 本居宣長記念館


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