midashi_g.gif 西行庵

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 西行と宣長、桜が好きな二人だが、そう簡単には結びつかない。

 語学の問題だが、歌の字余りで、聞き苦しい文字あまりの常習犯として目星を付けたのが西行と慈円である。慈円は「すべて此僧正の歌、西行が、心にまかせて、みだりによみちらしたるふりを、うらやみてよまれたりと見ゆるが多し」(『新古今集美濃の家づと』巻5)で、もとはと言えば西行が悪いと考えていた。佐竹昭広氏によれば『新古今集美濃の家づと』で、著者宣長によって、「聞ぐるし」と批評された「文字あまり」の句が10例ある。10例のうち7例までが、西行である。

 と言って敵視することもない。亡くなる享和元年、京都双林寺で、「むかし西行頓阿などのすみけることを思ひてかたへなる流れを菊の谷といふよしきゝて」の詞書で
 「いにしへの 人に契を むすび見ん すみけるあとと きくの谷水」
という歌を詠んでいる。

 また、宣長の使用した栞には
 「よしの山 こぞのし折の 道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねん」
の歌が書かれていた。

 西行庵に住んだというのは似雲という歌人。但し3年は誤りか。

西行庵

西行庵



(C) 本居宣長記念館


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