midashi_v.gif 『済世録』(サイセイロク)

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 この帳簿は、宝暦8年(1758)29歳の頃から晩年に至るまで書き継いだ、患者と投薬、その薬価料に関する帳簿。自筆。38冊あったと推定されるが、今は10冊が残る。
  1. 安永7年(1778)49歳。
  2. 安永8年(1779)3月から年末まで。50歳。
  3. 安永9年(1780)51歳。
  4. 安永10年(1781)52歳。
  5. 天明2年(1782)53歳。
  6. 天明3年(1783)一部欠失。54歳。
  7. 寛政4年、5年(1792/1793)63歳、64歳。
  8. 寛政6年、7年、8年(1794/1795/1796)65歳、66歳、67歳。
  9. 寛政9年(1797)から11年(1799)一部欠失。68歳、69歳、70歳。
  10. 寛政12年(1780)から、宣長没後の文化4年(1807)まで。71歳、72歳。裏表紙に「卅八」(38)と書かれていて、併せて38冊あったことが分かる。

 次に、『済世録』の記載についてみてみよう。
 月日、患者名。調合した薬と数が記される。○が名前の上にあるのは初診、名前の下が治療が終わった印である。「トリメ、クタリ」、「タン、イタミ」と簡単な症状も書かれている。これを、7月と12月に集計して治療費を請求する。
 でも、なかには踏み倒す人もいる。その人は「不謝」という欄に名前を明記する。
 几帳面な人とつき合う時には、自分も几帳面にしないといけないと言うことだ。
 またよく来る人もいる。門人の村田光庸もその一人だ。


「済世録」表紙

「済世録」表紙
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「済世録」裏表紙

「済世録」裏表紙

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>>「村田光庸」



(C) 本居宣長記念館


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