- 安永7年(1778)49歳。
- 安永8年(1779)3月から年末まで。50歳。
- 安永9年(1780)51歳。
- 安永10年(1781)52歳。
- 天明2年(1782)53歳。
- 天明3年(1783)一部欠失。54歳。
- 寛政4年、5年(1792/1793)63歳、64歳。
- 寛政6年、7年、8年(1794/1795/1796)65歳、66歳、67歳。
- 寛政9年(1797)から11年(1799)一部欠失。68歳、69歳、70歳。
- 寛政12年(1780)から、宣長没後の文化4年(1807)まで。71歳、72歳。裏表紙に「卅八」(38)と書かれていて、併せて38冊あったことが分かる。
次に、『済世録』の記載についてみてみよう。
月日、患者名。調合した薬と数が記される。○が名前の上にあるのは初診、名前の下が治療が終わった印である。「トリメ、クタリ」、「タン、イタミ」と簡単な症状も書かれている。これを、7月と12月に集計して治療費を請求する。
でも、なかには踏み倒す人もいる。その人は「不謝」という欄に名前を明記する。
几帳面な人とつき合う時には、自分も几帳面にしないといけないと言うことだ。
またよく来る人もいる。門人の村田光庸もその一人だ。
>>「村田光庸」