midashi_g.gif 最初の三輪参詣

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 「はやくもまうでし事など思ひ出て」とあるが、宝暦7年10月4日、京都遊学を終えた宣長は松坂への帰途、大神神社に参詣した。

「三輪にて物くひて、明神にまふつ、三輪の里より鳥居を入て、なみ木を経てやゝ山にのぼる所也、御社は、拝殿あたらしくきれいに見ゆ、みあらかはなくて、ただ杉ふかくしげりたる御山をさしておがみ奉る。それより三わの里にはいでず、山中をこえてさきへ出たり」(『在京日記』)。

 「神のみあらかはなくて。おくなる木しげき山ををがみ奉る。拝殿といふは。いといかめしくめでたきに。ねぎかんなぎなどやうの人々なみゐて。うちふる鈴の聲なども。所からはましてかうがうしく聞ゆ。さて本の道にはかへらで。初瀬のかたへたゞにいづる細道あり。山のそはづたひを行て。金屋といふ所にいづ。こはならよりはつせへかよふ大道なり」(『菅笠日記』)
  両方を比べてみても大きな違いはない。15年の時の流れの中で、新しかった拝殿は、かえって神々しさを増していた。



(C) 本居宣長記念館


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