斎藤彦麿サイトウ・ヒコマロ)

 明和5年(1768)正月5日〜嘉永7年(1854)3月12日。享年87歳。大平門人。旧姓荻野。名智明、彦麿。字可怜。通称庄(荘)九郎等。号宮川舎、葦仮庵(アシノカリホ)。三河岡崎に生まれる。その後、斎藤家を相続し、石見国浜田藩松平康任、康爵2代に仕え、陸奥棚倉、武蔵川越と転封に従って移居し、川越で病没する。「葦仮庵略年譜」には寛政3年(1791)宣長門に入るとあるが、『授業門人姓名録』には不記。あるいは私淑か。平田篤胤のために宣長像を描く。文化13年(1816)、大平より借覧した『石上私淑言』巻1、2に注を付し刊行。文政元年10月序『三哲小伝』に宣長小伝を書くが不評。刊本『万葉集玉の小琴』には天保9年(1838)の彦麿の序が付く。


> >『万葉集玉の小琴』
> >『石上私淑言』
> >「夢の中で宣長先生と会う」



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