去ってゆく友

 嶺松院歌会の会員で、宝暦8年夏からの『源氏物語』講釈に参加し、『明和四年撰歌百首』にも加わり、明和9年3月の吉野、飛鳥行や天明2年前山の花見等にも同道し、自坊覚性院でもしばしば花見、月見、紅葉等の歌会を開いた「戒言」だが、後年は仏道修行に専心するため歌から遠ざかっていった。寛政3年10月29日、宣長等は追悼歌会を催した。岡本保孝『音韻答問録』に語学に詳しく、宣長の音韻研究を助けたと言う伝聞を記すが真偽未詳である。

 また、大平の父・棟隆も歌から次第に遠ざかっていった人である。宣長の「八月十五夜稲懸棟隆家の会にそこにてかける文」(『鈴屋集』)に、仏道修行のために歌を詠むことも少なくなったが、大平が熱心なので、八月十五夜だけはいつも以前と同じように歌を詠むことが書かれている。


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(C) 本居宣長記念館


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