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この図は、「金輪造営図」と呼ばれる。『玉勝間』巻13「同社金輪の造営の図」に載る。その解説に、「此図、千家国造の家なるを、写し取れり」とある。寛政7年2月20日付俊信宛書簡に「金輪造営之図御認被下、千万辱拝見仕候」とあり、俊信が写して送ってくれたことがわかる。出雲大社に現存する図とは小異がある理由は不明。あるいは2種あったのだろうか。
一枚の平面図から地形や建造物という立体物を想像する、また系図からそこに閉じこめられた時間の流れを読み解く。「図」を解読するのを宣長は得意とした。
それが単なる「空想」に終わらないだけの、裏付けとなる歴史の知識があったことは当然である。
地図を見たら昔の様子から今に至る地形の変化までありありと思い浮かべられる。
いや、地図どころか、文章を見ても、単語一つからだって宣長には時間の流れと空間の広がりを見ることが出来たのだ。宣長は子どもの頃から「図」が好きだった。系図も地図も、また図解も好きで写したり、集めたり、自分でも作成している。
図を読み解くのも、訓練と経験がものを言う。
それと、高いところから眺めるのが好き、という宣長さんの高所志向も役に立ったのかもしれないね。

「金輪造営図」(『玉勝間』板本より)
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「注釈とは創造でもある」
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「宣長さんの高所志向」
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