戦略

 宣長の生涯には、純粋に「学ぶ歓び」を追求した人と言う側面と、師から受け継いだ学問、つまり日本の古道を解明し、外国追随の文化伝統からの軌道修正をしようとする「古学」(国学)の伝統を守り、また普及させようとするもう一つの面があった。

 二つ目の、学問普及のための戦略家としても宣長は優れていた。
 まず、著書を執筆する。著書は、文書は平明で、論理の飛躍が無く、適切な比喩と必要にして充分なだけの論証資料が用意される。
 次に、その著書を出版する。その事でより広域の読者を獲得できる。契沖や真淵の著書が多く写本で普及したのとは大きな違いだ。
 著書への疑義、批判は歓迎した。質疑応答により、一層深い読者層を開拓し、また論争を通じて「古学(国学)」の立場を鮮明にした。

 また、正統な真淵門人であることを主張し、その学統の祖として契沖を置く。国学の伝統を明確にすることは、伝統を尊ぶ宣長には重要であった。また、儒学の真似をして出来てきたとか、新興の学問と軽視される批判をかわす意味もあった。このような批判は、本質を弁えない部外者の見方であるというような扱いを宣長はしない。相手が誰であっても手を抜くことなく、誠実に、また徹底して対処した。
 そのことは門人指導でも窺える。純粋な学問を求める門人への適切な指導や特別の講釈をする一方では、今のカルチャーセンターのような講釈や歌会を通じて、和歌や物語を愛好する門人も大事にして真剣に指導した。

 政治との関与の仕方にも注意を怠らなかった。学者の務めは道を明らかにすることであり、道を行うことではないと主張し、積極的な関与を避けた。一方では、紀州徳川家との関わりを保つことで、結果として、若い学問である「古学(国学)」への旧学問やそれを擁護する旧勢力の批判をかわすことに成功した。紀州家の認知を受けた宣長学には、幕府の役人といえども口を挟むことは出来なかった。


> >「9 宣長の出版と学問」
> >「国学はなぜ発展したか」
> >「師の説になづまざること」



(C) 本居宣長記念館


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