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桜が好きで好きでたまらない宣長が、見つけた究極の桜の美が「敷島の歌」に凝縮されている。種類は、葉が赤く細木がまばらに混じる山桜。天気と時間は、晴れた朝日の頃。桜花は朝日の頃に限るという美意識は、『新古今集美濃の家づと』の、有家朝臣「朝日かげにほへる山のさくら花つれなくきえぬ雪かとぞ見る」評にも、「めでたし、上句詞めでたし、桜花の、朝日にあたれる色は、こよなくまさりて、まことに雪のごと見ゆる物なり」
と見えている。
ところが、この歌は、宣長の自画像を初め、その肖像にはよく書かれているのに、不思議なことに、自選歌集『鈴屋集』には載っていない。
人から頼まれたら書くのだから、この歌は自信作であったはずだが、どうして歌集に載せなかったのか。
一つの見方として、私は、宣長は自分からこの歌を離したくなかった、歌集の中に埋もれさせたくなかったのではないか。だから自分といつも一緒、つまり画像か、もしくは独立した半切などの紙にのみ書いたのではないかと考える。いかがでしょうか。
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「敷島の歌」
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「敷島の歌」その後
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『鈴屋集』
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「桜」
(C) 本居宣長記念館
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