midashi_g.gif 真台寺

l_g3

 松阪市新町(旧町名は大工町)。浄土真宗高田派。もとは天台宗で、松ヶ島にあったのを、松坂開府の時に移築したと伝える。その後、浄土真宗となる。四代住職は漢詩で有名な赤須真人である。


真台寺山門

真台寺山門


 ◇赤須真人
 
 正徳6年(1716)6月11日〜天明8年(1788)5月29日。母は射和村竹川氏の女。 宣長より15歳年長。赤須真人は号。セキスシンジンと読むのだろうか。また猛 火とも号した。不動明王に子どもを祈願したためとも、また一説に、生まれた年 に真台寺が火災で焼失したからだともいう。彼は漢詩を得意とした。法号東海院 明了白延上人。性は磊落。行脚を好み、仏典以外の儒学の本や老荘思想にも詳し かった。また多趣味。漢詩集に『赤須真人詩集』(安永6年刊)がある。

 ◇赤須真人の自伝

 椿馬東が描いた「赤須真人寿像」には自ら賛を書き、そこに自分のプロフィー ルを詳しく記す。全文が『松阪文藝史』(桜井祐吉)に引いてある。  さて、興味関心によって当然見えるものが違ってくる。宣長さんに関心を持っ て居ると松阪は宣長さんの住む町だとなるが、当時、文学と言えば「漢文学」、 そして「漢詩文」である。漢詩に関心のある人にとって松阪は、韓天寿、郊外相 可の天啓に住む悟心、そして真台寺の赤須真人、また医者の長井元恂の住む町と なる。たとえば細合半斎がこのあたりをまわった時の『続神風集』にも、天寿を 訪ねて、帰る時間もあるので真人さんには失礼して、挨拶は長井元恂に言付けた とある。
 実は以上挙げた人の中で赤須真人だけが宣長との交友がはっきりしていない。 おそらく人口一万の狭い町、真人と宣長の接点はあったはずだが、それを明らか にするのはこれからの課題である。



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる