midashi_v.gif 信頼度抜群義信像

l_v3.gif

 宣長が坂倉茂樹に送った書簡(寛政4年(?)9月10日付坂倉茂樹、市見元常宛)の中に次の一節があります。

【大意】
「私の肖像をお返しいたしますので受け取ってください。また描き直しが出来て送って下されば上に賛の歌を書きます。名古屋に私の肖像をこれまでに何枚も描き、またよく似せてくれる画家がいます。もしこの人に頼むなら大平に頼んでください。大平はこれまでに何回も作る仲介をしていますのでよく分かっているはずです。それとも、また地元で別の人に頼むというなら、それでも結構です。もし大平に頼むときは詳しくは宣長に聞くようにと申し付けてください」。
【原文】
「一、愚老肖像此度返信申候間御落手可被成候、追而御書改出来次第被遣下候はば、賛歌相認遣可申候、名古屋に愚老が像是迄何ン枚もかきなれ能(く)似申候絵師有之候、若シ是ヘ御誂へ被成方候(間)はば大平方へ御頼可被遣候、大平是迄誂へ申候間能(く)様子存居申候、夫共思召次第其御地にても御誂可被成、いか様共可被成候、もし大平へ御頼被遣候はば委細は愚老へ尋候様に御申し越可被成候」

 茂樹が描かせた宣長像は、宣長の気に入らなくて返された。そこで宣長は名古屋に慣れた画家がいるからその人に書かせればよいと提案する。それが吉川義信です。
 坂倉家には今も義信が描いた「本居宣長像」が残っています。上のは宣長の筆で「しき嶋のやまと心を人とはゝ朝日にゝほふ山さくら花、こはおのかゝたを坂倉茂樹かうつさせたる也、歌かきてとこふまゝに書てあたふ、宣長」と書かれています。


>> 「坂倉茂樹」
>> 「吉川義信」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる