midashi_g.gif 新座町

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 しんざまち。古田重勝が城主だった頃、藩士が住んでいて、その後町家となったという。宣長の『伊勢州飯高郡松坂勝覧』には、「魚町下ノ丁ヨリ舟江ヤ小路 ノ方マデ行丁」とある。宣長友人で医者の塩崎宋恕が住んだ。その白猪楼に宣長も遊んだことがある。また享和元年(1801)8月宣長の養子大平がこの町に移り住んだ。この家では毎月5,15,25日に歌会が開かれた。同年9月13日、月見の歌会が開かれ宣長も出席。最後の歌会となった。歌会の後、魚町の家まで師を送ったのが服部中庸。帰り道、宣長が中庸にした話が「九月十三夜の教え」である。
 宋恕の白猪楼のあった向かい側のマンションから今も白猪山の姿がくっきり見える。


>>「学問所建設願書」
>>「白猪山」



(C) 本居宣長記念館


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