賑やかな場所だなあ。ここは四条烏丸、宣長の頃も、そして今も京都の中心だ。
ここから南西に徒歩5分。堀景山の宅跡がある。碑が建つ。「本居宣長先生修学之地」。右側面には「先生伊勢の人、宝暦年間今より二百年前、二十三歳にして京に出て此町の堀景山に漢学を修め、近隣の武川幸順に医術を学ぶこと五年郷に帰って国学を大成す。新村出撰文並書」、左側面には「堀景山宅、綾小路室町西入南側、武川幸順宅、室町通綾小路北上。昭和二十六年西紀一九五一、先生百五十年歳記念、本居宣長遺跡顕彰会」とある。
宝暦2年3月、上京した宣長は、紹介者を立て、儒者堀景山に入門、同家に寄宿する。宣長23歳、景山65歳。以後、同4年10月10日、武川幸順宅に寄宿するまでここが宣長の住まいとなる。
武川宅も室町四条の南で、堀家からは指呼の間であった。
宣長の青春時代5年半はここが舞台となったのだ。
享和元年(1801)、宣長最後の上京時に宿泊した場所を記念して建てられた「鈴屋大人偶講学旧址」は、脇に「大正二年六月」と書かれている。建碑の経過は残念ながらわからない。また、この碑はしばらくの間、銀行のシャッターに阻まれて見ることが出来なかったが、三菱東京UFJ銀行の新社屋が完成する2007年9月以降は外からも見ることも出来る予定と聞く。大変嬉しいことである。

「四条烏丸の雑踏」
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「鈴屋大人偶講学旧址」
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