midashi_v.gif 1、『菅笠日記』について その2

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 旅立ち
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 明和9年3月5日(1772年4月7日)曇りのち雨。 『日記』には、「(明和九年三月)五日、行吉野観花、今朝発足、同伴、覚性院、小泉見庵、稲垣十助、同常松、中里新次郎也、今夕宿伊賀国伊勢地」(宣長全集・16-327)とあります。

 吉野の桜は何時が満開か
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 花見で難しいことは、当日の天気と開花予想。これは昔も今も変わりない。
 天気だけはどうしようもないが、テレビもラジオもない時代、どうやって吉野の花盛りを予想したのだろうか。

 宣長は次のように書いている。

 「そもそも此山の花は、春立る日より、六十五日にあたるころほひなん、いづれのとしもさかりなると世にはいふめれど、又わが国人の、きて見つるどもに、とひしにはかのあたりのさかりの程見て、こゝにものすれば、よきほどぞと。これもかれもいひしまゝに、其程うかゞひつけて、いで立しもしるく、道すがらとひつゝこしにも、よきほどならんと、おほくはいひつる中に、まだしからんとこそ、いひし人も有しか、かくさかり過たらんとは、かけても思ひよらざりしぞかし」『菅笠日記』8日条
 一般には、吉野の桜は立春から65日目頃が見頃という。明和9年の立春は1月2日。65日目は3月7日にあたる。また、松坂から行った人の話では、こちらの盛りを見てから行くと調度よいと教えられて、宣長一行は出発したのだが、残念ながら桜は満開を過ぎていた。



(C) 本居宣長記念館


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