愛宕町。同社、また境内の薬師堂や周徳寺も今は無く、皮肉にも、付近は松阪一の盛り場となっている。ここは、宣長が「松坂学問所」建設予定地としたのはこの境内である。
寛政6年(1794)12月、宣長は松坂医師・塩崎宋恕と連名で松坂学問所建設を紀州藩に願い出た。門人の増加に伴い、来訪者も増加したので、この際、藩で宿舎、文庫も併設した学校を建設して欲しいというのが請願の理由である。また、その中で松坂の書家・韓天寿の収集品の散逸を防ぐことも進言する。結局、時期尚早で認可されなかったし、天寿のコレクションも散逸してしまった。
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「夜の愛宕町」
右に寿司「長の屋」が見える。
このあたりに少彦名社があった。
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