midashi_b 宣長の鈴

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 「宣長の鈴」と言えば、書斎に掛けられた柱掛鈴ですが、宣長さん遺愛の鈴として、「柱掛鈴」以外に、「駅鈴」とか「十字鈴」がよく知られています。ほかに、「茄子型古鈴」、「養老鈴」、「鬼面鈴」、「鉄鈴」、「八面型古鈴」もあり、本居家に伝わったそれら7つの鈴を「七種鈴」と呼びます。 この中で、宣長さんとの係わりがはっきりしているのは「駅鈴」と「十字鈴」、「鉄鈴」の3つです。

1,「駅鈴」 
 
この鈴は、松平康定から頂いたもの。
「唐金の大きなる形、隠岐国造の家に古くつたはりたる形を鋳させて、松平周防守殿よりおくられたるなり」(春庭書付・但し現存せず)
 寛政7年8月13日、石見浜田(今の島根県浜田市)藩主松平康定侯(1747〜1807)が参宮の途中松坂に泊り、宣長の『源氏物語』講釈を聴講した。主君来訪に先立ち、臣・小篠敏が色紙を添えた「駅鈴」を持参した。
 歌は 「かみつ世を かけつゝしぬぶ 鈴の屋の いすずの数に いらまくほしも、康定」 この歌は、掛軸に表装され、今も記念館に保存されている。

>>「プレゼントは隠岐の駅鈴」

2,「十字鈴」
 
友人(後に門人)・荒木田尚賢から、安永年間(1772〜81)に貰った。
  伊勢神宮神域、五十鈴川の川辺から出土したという。寛政12年12月、紀州藩主徳川治宝のご覧に入れた。
 由緒は、『答問録』巻末に「殿の御前にそへて御覧ぜさせたる鈴之来由」として載る。
 記念館では、十字鈴と呼び慣わしている。この名称は、松浦武四郎の『撥雲余興』でも使用されているという。また、本居家では「三鈴」、最近の考古学の世界では「鈴杏葉」と呼ぶ。埼玉県にある稲荷山古墳からもよく似た鈴が発見されたほか、類似品の出土例は多い。

【参考】
 稲荷山古墳出土鈴の写真は、『重要文化財』第31巻補遺II(毎日新聞社)に載る。
「殿の御前にそへて御覧ぜさせたる鈴之来由」は【原文】を参照のこと。

【原文】

「殿の御前にそへて御覧ぜさせたる鈴之来由 古鈴出処之事、伊勢国度会郡神路山之内、内宮御境内五十鈴川之辺土中より掘出候古物、天明之頃、彼宮祠官、蓬莱雅楽荒木田神主尚賢許より、所贈与宣長所蔵之鈴也、寛政十二年庚申十二月、本居宣長」
(頭注「大平云、按ズルニ、安永年中也、若山客舎ニテ認ラレタル時、闇(暗)記ノマヽニテ天明ト記サレタル也」)

 ここでは、宣長の記憶違いとする大平の説に従う。


3,「鉄鈴」
 
春庭によれば、京都で宣長が作らせたものだという。
 「鉄のは故翁上京のをり古き形によりてさせられたる也、鉄はいと鋳がたく音もよくは出来がたきよし也」(春庭書付・但し現存せず)
 もとは2つあり、1個は本居家に留められた。明治8年3月、山室山神社を創祠した時に、霊代とするため緒を紫から麻に変えた。明治22年9月、霊代を別に定めてこの鈴は返された。

「七種鈴」

 「七種鈴」
後ろ左から八面型古鈴、茄子鈴、養老鈴、鬼面鈴、鉄鈴、十字鈴、駅鈴。



(C) 本居宣長記念館


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