midashi_o.gif 鈴屋訪問

l_o3

 宣長が次々と研究を発表する。また宣長に逢うため全国から学者が集まる。また情報も集まる。「鈴屋」は、日本古典研究の中心地となった。また、伊勢路を行き交う人の、一つの観光スポットでもあった。『来訪諸子姓名住国並聞名諸子』はその記録だ。

 最初から、街道近くに住む宣長のもとには来訪者が絶える事がなかった。早い時期、まだ宣長無名時代は、学問好きな伊勢神宮の神主などが、立ち寄ることが多かった。特に全国各地に旅する御師は、行き帰りに宣長の所に立ち寄る人もいた。蓬莱尚賢(ホウライ・ヒサカタ)はその筆頭だ。谷川士清の娘婿で、また賀茂真淵の所にも出入りしていたので、よきメッセンジャーとしての役割を果たしてくれたようだ。 『古事記』にクラゲが出てくるがこれはどんなものだい、と宣長が聞けば、この前長崎に行った時に舟の上から見ましたよ、とその報告を送ってきてくれる。こんな本知ってますかと珍しい本を届けてくれる。
  宣長が本を次々に書き有名になると、全国から訪問者がやってくる。狂歌師、俳諧師、尊皇家、浮世絵師、洋風画家、儒者、神官、藩主などなど。実に多士済々だ。
 勉強したい、とやってくる橋本稲彦のような若者がいる。
 宣長なら自分の理解者となってくれるであろうとやってきた蒲生君平ような尊皇家。
 参宮にかこつけて国を出てきた人もいる。
 中には、旅の途中で、有名な人の顔でも見ていこうか、あわよくば短冊の一枚でも貰えたら、という虫がいい人もいる。

 ところで、誰がこれらの人の取り裁きをしていたのだろう。よもや多忙な宣長ではあるまい。医者の仕事で留守も多いはずだ。
 おそらく、妻、あるいは娘が第1次審査、パスすれば、稲懸大平に取り次いで、第2次審査。この人は先生にお知らせしようとか、忙しくて会えませんと判断していたのではないだろうか。すべてのケースの検証は出来ないが、断片から想像するとこうなる。


「訪問者ア・ラ・カルト」
 栗田土満(クリタ・ヒジマロ)
  の訪問
 田中道麿(タナカ・ミチマロ )
  の訪問
 安田躬弦(ヤスダ・ミツル)
  の訪問
 野井安定(ノイ・ヤスサダ)
  の訪問
 窪 俊満(クボ・シュンマン)
  の訪問
 高本順(タカモト・シタゴウ)
  の訪問
 竹村茂雄(タケムラ・シゲオ)
  の訪問
 横山秀世(ヨコヤマ・ヒデヨ)
  の訪問
 橋本経亮(ハ シモト・ツネタダ)
  の訪問
 末田芳麿(スエダ・ヨシマロ)
  の訪問

>>「小篠敏」
>>「蒲生君平」
>>「来訪者対策」
>>「イルカのレポート」
>>「御師」
>>「橋本稲彦」
>>「来訪者」
>>「来訪者対策」
>>「浦上玉堂の琴を聴く」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる