midashi_b 書簡

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 宣長は通 信教育で勉強した日本歴史上最初の人であるかも知れない。宣長は、江戸の賀茂真淵(1697〜1769)から書簡で勉強を教わった。また自分の学問を普及するのに書簡を活用した。

 宣長が生涯に書いた書簡数は数千通に上ると思われる。現存するのは、全集収載の宣長差出書簡1027通(巻17、927通。別巻3、94通、代筆書簡6通)、またその後の新出書簡を併せると約1050通に及ぶ。これらの中には、控えや、『鈴屋集』掲載など、原書簡ではない二次的な伝存も含まれる。京都遊学時代を中心に漢文書簡(稿)も若干残る。
 紙質は、無地の薄手楮紙で巻紙が多いが、時期によっては地模様のある紙を使うこともある。また、賀状など改まったときには厚手の折紙が使用される。

 宣長における書簡の役割は、質問への回答、また学術的なものが中心となる。但し、一族へのものは家政に関する連絡、植松有信には出版に関する指示など、宛人により話題は異なる。これらの書簡には、著作や諸記録に見えない心情を吐露したものや、事柄を報告したもの、例えば『古事記伝』天覧、またその完成の喜び、加賀前田候からの招請なども現れ、伝記研究の根本資料である。また、諄々と学問の方法を説き、日常の処し方、言葉の使い方などを教え諭し、質問者に対して宣長は惜しみなく最新の研究成果を伝えるなど、滋味掬するものが多く、それが伝存数の多さに反映している。

 もちろん江戸時代は、今のような郵便制度はないが、大都市は飛脚で結ばれ、また日数はかかっても村々にも届けることも出来た。『文通諸子居住処并転達所姓名所書』がその方法を書いたものである。
 たとえば山梨県の辻保順(作家・辻邦生氏の先祖)という門人に手紙を出すには、まず京都の近江屋喜兵衛を経由して、甲州加茂村竹下氏を中継し、保順に届く。つまり転達所とは経由地、中継地のことである。またもう一つ、街道沿いの町松阪ならではのやり方があった。「参宮幸便」、参宮客を使う方法である。こちらは早くて安いので、宣長もよく利用した。
 発送にはによる経費のかかるもののほか、参宮客に託するという地の利を生かした方法もあった。

 書簡に関する問題点としては、年次推定、同一内容を有する同一人宛複数書簡の存在などの問題、偽書簡(偽筆・偽作)がある。書簡集には、奥山宇七編『本居宣長翁書簡集』、三村竹清『鈴屋文書』、『【復刻】本居宣長翁書簡集』(昭和45年・本居宣長自筆稿本刊行会)、『本居宣長全集』(筑摩書房)等がある。

 宣長書簡の価値は、学問の最新情報が満載されていることと、もう一つ、他の資料に見られない情報〈個人情報〉が書かれている点にある。実は、『古事記伝』天覧も、また加賀前田侯からの招聘のことも、そして『古事記伝』完成も現存する第一報は書簡で残るのである。

【参考文献】
「日本における遠隔教育の起源−鈴屋の意義」白石克己、『鈴屋学会報』16号。


須賀直見宛漢文書簡
「須賀直見宛漢文書簡」
 
横井千秋宛書簡
「横井千秋宛書簡」

>> 『文通諸子居住処并転達所姓名所書』
>> 「『古事記伝』書き終わる」
>> 「前田侯の誘い」
>> 「通信教育」



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