midashi_v.gif 『春秋左氏伝』(シュンジュウサシデン)

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 中国の経書。『春秋』という、中国春秋時代に孔子、もしくはその教示を受けた魯の史官が編纂した編年体歴史書。五経の一つ。何月に誰がどこで誰に勝った、と言う事実を書くだけなのでその後に注釈書が書かれた。その一つ、左邱明(サキュウメイ)が注をつけたのが『春秋左氏伝』。ほかの注と違って、左さんは主観的ではなく豊富な事実で経義を説く。もとは『春秋』と『左氏伝』は別の本としていたが、晋の杜預(トヨ)の『春秋経伝集解』が出来てから一緒になった。宣長手沢本もその流れに属する本だ。

■書誌■
版本。宣長手沢本。30巻15冊。袋綴冊子装。薄茶表紙。
縦28.5cm、横20.5cm。匡郭、縦22.3cm、横17.2cm。片面行数8行。
墨付(1)76枚、(2)53枚、(3)76枚、(4)63枚、(5)56枚、(6)73枚、(7)83枚、(8)70枚、(9)70枚、(10)70枚、(11)72枚、(12)74枚、(13)65枚、(14)56枚、(15)91枚。
外題「左伝、一之二(以下・巻数)」。
内題「春秋経伝集解隠公第一」。
小口「春秋、一之二(以下・巻数」。柱刻「左伝一(以下・巻数)、丁数」。
蔵書印「鈴屋之印」他。
【奥書】
第1冊(巻2) 「右書入改点等皆是、景山先生所是正也、予以其自筆本写之云爾、本居栄貞」。
第2冊(巻4) 「右書入改点等、景山先生所是正也、本居栄貞」。
第3冊(巻6) 「右書入改点等、景山先生所是正也、本居栄貞」。
第4冊(巻8) 「右書入改点等皆是、景山先生所考正、而予以其自筆本写之云爾、宝暦三年癸酉十月卅日、本居栄貞記」。
第5冊(巻10) 「右書入改点等皆是、景山先生所考正也、予以其自筆本写之云爾、宝暦四年甲戌正月六日、本居栄貞記」。
第6冊(巻12) 「右書入改点等、我、景山屈先生所是正也、予以其自筆本写之云爾、宝暦四年閏二月十三日此一策畢、本居栄貞」。
第7冊(巻14) 「右標註改点等、我、景山屈先生所考加也、予以其自筆本写焉云爾、宝暦四年甲戌五月二日畢此一策矣、門生本居栄貞」。
第8冊(巻16) 「右標註音点等皆、景山屈先生所考正也、即以、先生自筆本写之、宝暦五年乙亥二月八日此一册畢、後学、本居栄貞謹識」。
第9冊(巻18) 「右鼇頭旁註訓点等皆是、景山先生所是正也、予以其自筆本改正之云爾、宝暦五年乙亥四月八日、本居春菴清宣長謹書」。
第10冊(巻20) 「右訓点句解旁註等皆是、景山屈先生所考正也、以自筆本写之矣、宝暦五年乙亥六月朔日、清春菴本居宣長謹識」。
第11冊(巻22) 「右句読訓点旁註鼇頭是、景山先生所考校也、以其自筆本瀉之畢、宝暦五年乙亥九月四日、清蕣菴宣長謹書」。
第12冊(巻24) 「右鼇頭旁註訓点者、景山先生所集識考正也、予今以其家蔵自筆之本書写之、宝暦五年十一月五日畢此一策矣、蕣菴清宣長謹書」。
第 13冊(巻26) 「右訓点句読旁註鼇頭者、景山屈先生所校正也、予以自筆本書附之云爾、宝暦六年二月三日畢此一策、清蕣庵本居宣長謹書」。
第14冊(巻28) 「右国読訓点句読訓点旁註皆頭是、景山屈先生所校正也、予以其家蔵自書本附之、雖一字半点不加臆断矣謹写云、宝暦六年丙子四月二日、本居宣長謹書」。
第15冊(巻30) 「右春秋左氏伝全十五本訓点国読旁註句読是校正也、予以其自書之本写之全部正畢矣、時宝暦六年丙子年六月二日、伊勢飯高春庵本居宣長謹書乎平安寓居」。

【参考】
 師の堀景山改訓本から書き入れを丹念に写す。開始は宝暦3年頃。宝暦6年(27歳)6月2日、巻15の改訓の筆写が終わる。「かれは自分の所持する和刻本『春秋経伝集解』全十五冊にわたって、その訓点の改訂を行っていた。それは本来この版本に付されていた訓点の一つひとつを胡粉で消し、その上に師景山が改め正した訓を丹念に書き入れる作業であった」『本居宣長の生涯』岩田隆著(以文社刊)。宣長の所持した漢籍類は医学書を除くと殆ど散逸したが、手沢本で唯一残ったのが本書である。歴史を重んじた景山の学風、また宣長の緻密な学習振りをよく伝える。


『春秋左氏伝』

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