midashi_b 宣長の旅

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 宣長は旅が好きだ。自分ではそうはいっていないが、好きだ。

 一口に「宣長の旅」と言ってもいろいろだ。日帰りもあれば数ヶ月に及ぶこともある。目的も様々だ。仕事絡み、また物見遊山。
 でも全く仕事と関係ない旅というのは、日帰りか近在の行楽を除くと、あまり無い。
 古典を研究する宣長にとっては現地採訪はどうしても必要だ。吉野水分神社参拝と花見目的の「菅笠の旅」でも、飛鳥を中心とする史跡探訪を兼ねる。
 では、仕事での旅は、全くの出張かというと、楽しみの要素も多分にある。

 宣長の旅の様子は、いくつかの紀行文と、道中の歌で知ることが出来る。

 紀行文としては、宣長自身のものでは『菅笠日記』(43歳吉野飛鳥行き)。歌で綴った紀行は『むすび捨たるまくらの草葉』(64歳京から近江を経て名古屋)、『紀見のめぐみ』。(65歳、和歌山から大坂、京を経る)。同行者のものでは『餌袋の日記』(吉野飛鳥行、大平著)、『藤のとも花』(寛政元年名古屋行、大平著)、『己未紀行』(寛政11年和歌山行、大平著)、『鈴屋大人都日記』(享和元年京都滞在中、石塚龍麿著)などがある。

 また、旅のメモである「日記」もいくつか残される。『寛政四年名古屋行日記』、『寛政五年上京日記』、『寛政六年、同十一年若山行日記』、『寛政六年若山行表向諸事扣』、『寛政十二年紀州行日記』、『享和元年上京日記』。

 このほか、旅の断章というような考証随筆が『玉勝間』に載る。「五十師原、山辺御井」、「玉津嶋の神」から「黒牛潟、藤白、糸鹿山」まで、「又妹背山」、「おのが京のやどりの事」など。いずれも小編ながら、旅と学問が深く関わっていることがわかる。実は、これが旅する宣長の目でもある。



>>「旅の仕方も「宣長流」」
>>「宣長の旅一覧表」



(C) 本居宣長記念館


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