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完成した画像は、四十四歳像と異なり、早くから門人の知るところとなった。宣長には自画像以外にも多くの画像が残されているが、それらの多くが、この六十一歳像から、またその写しから制作されていった。
写しの中で現在確認できる最古のものは、寛政4年(1792)3月に詠んだ歌が賛された植松有信旧蔵のものだ。作者は、落款印章はないが、名古屋の画家 吉川義信(ヨシカワ・ヨシノブ)と推測される。
義信がこの絵を見て描いたということは、つまり、この絵は名古屋まで宣長によって運ばれた可能性がある。いや、その公算大だ。
こんな風に想像している。
寛政4年(1792)3月5日、名古屋に向け松阪を出立した宣長一行の荷物の中にはこの画像があった。
名古屋で迎えた植松有信は、画像を見せられ、欲しくなってさっそく模写を吉川義信に依頼した。
早々に描いた像を持って師の所にやってきた有信は賛を書いてもらった。もちろんこれは、24日の名古屋出立前であろう。
また、『遺言書』では、自分の没後、祥月には座敷の床に画像を掛けるように指示しているが、それはもちろんこの画像だ。
「本居宣長六十一歳自画自賛像」
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「本居宣長像」吉川義信画
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「吉川義信」
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「植松有信」
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