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元文3年(1738)〜文化10年(1813)12月26日。享年76歳(一説に78歳)。熊本藩校時習館第3代教授。初め原田氏。名順。通称慶順、慶蔵、敬蔵。号紫溟、せきの屋等。藩医高本氏の養子となり、同氏の本姓李を称する。朱子学を信奉する儒学者ながら国学にも関心深く、寛政4年(1792)閏2月、国学振興を藩に提言し、同9年3月30日、門人の長瀬真幸らを従えて鈴屋を訪れた。西から伊勢に来る一行は、『菅笠日記』の行程をたどって松坂入りするという念の入れようであった。土産は、国府煙草、筆。宣長は、愛宕町菅相寺で歓迎の歌会を開いた。その時の高本の歌「菅笠日記のみちをとめて鈴屋大人をとぶらひて、みよしのの花をわけてぞとひ来つる君がしをりの道のまにまに」。
また、熊本での宣長追慕の影前会にも出席する。
【参考文献】
『高本順大人百年祭記念先哲遺稿』大正元年12月。
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