midashi_g.gif 武川幸哲夫妻の墓

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 武川幸哲(1689〜1757)の墓もやはり勝円寺墓苑「无玄来苑」にある。幸哲は幸順の父。墓石はひいきとか言う亀の背に載っているが、残念なことに一部剥落して読めない。智芳院は妻か。

 碑面「有誠院法眼聖岳素賢元順居士・智芳院浄誉諦岳清真禅定尼」
(側面)「(剥落)元順元禄二年六月二十四日生・(剥落)五月廿一日清晨端坐逝六十九」。

 「端座して逝く」、つまり正座して亡くなった。
 葬儀に参列したであろう宣長の記録に次のように記す。

 宝暦7年5月21日の朝、武川幸哲没、享年69歳。23日、酉の刻(今の午後7時過ぎか)、綾小路南の勝円寺で武川幸哲葬儀。法号有誠院法眼聖岳素賢元順居士。元順は生前の諱である。

 この前年3月23日、宣長は堀景山と武川幸哲、幸順に同道し高台寺春光院にて花見をし、歌を詠んだことがある。当日の歌は『石上稿』載る。
 この他、「南海先生武川(一字不明・君か)墓」、「南汀先生武川君墓・南堂先生君墓・南室妙(一字不明・徳か)大姉墓」等も確認できた。有名な医家であったにもかかわらず倒れた墓あり、剥落し、また各所に散らばり、嗚呼無情。


武川元順夫妻墓

倒れた武川南海墓
武川元順夫妻墓
倒れた武川南海墓



(C) 本居宣長記念館


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