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四条河原町、少し南に下がったところ、ビルが林立する谷間、仏光寺通
河原町西入に勝円寺はある。敷地は、昔は3000坪、今でも1000坪もある立派なお寺だ。墓苑「无玄来苑」に宣長の先生「武川幸順」のお墓がひっそりと建っている。
「
南山先生武川君(剥落)・」。幸順の墓である。天保2年辛卯冬孫男幸順の再建で、墓石表「南山先生武川君墓」と大書、裏面「考諱幸順、字建徳、世業医、幼俊邁募豪士風遊於景山屈先生之門、長益励学、執志勇壮、遍続方書深造其旨、遂以童科鳴於海内、明和中徴除東宮侍医進法眼、享保十年正月晦生、安永九年庚子三月念八寿五十六、南山其号也、不肖孤医官幸伯謹建」と記す。碑文は『京都名家墳墓録』に依る。残念ながら今は剥落して全文を読むことは出来ない。また向かって右脇に「文政庚寅秋因地変毀損於旧碑今模刻北海氏誌文再建之、于時天保二年辛卯冬、孫男幸順誌」、「武川」と刻されているのを今回の調査で確認することが出来た。ただ、『宣長の青春−京都遊学時代−』出丸恒雄著(初版昭和34年10月)掲載写真に比較しても、碑面の痛みは深刻である。
幸順の命日を碑文では3月28日。死を報じた宣長宛畑柳敬書簡には「三月廿七日長去」、つまり27日没とある。また『法事録』でも命日を27日として供養していた。
>>「武川幸哲夫妻の墓」
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