midashi_o.gif 田中道麿の訪問

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 安永6(1777)年、松坂の宣長を訪問した田中道麿は、係り結びの法則を聞かされ、次のように云っている。

 10年前に出された『てにをは紐鏡』を、ことあるごとに見てましたが、充分理解ができませんでした。今度、松坂で『詞の玉緒』を見せてもらい(この時にはまだ稿本しかなかった)、おおよそ理解でき、帰ってからは夜に目が覚めたときも古歌を当てはめて検証していますが、ぴたりと先生が発見された法則に当てはまります。神代から今までこの様に「てにをはの法則」があるとは、実に尊いことです。
 これまで人に、お前は「てにをは」について知っているかと聞かれると、時と場合によっては、知っているとも、またよくわからないとも答えていましたが、心の底ではだいたい理解できているつもりでした。今になって考えてみると、全然わかっていなかったことに気づきます。この春、松坂から帰ってからは、本当に、本当に「てにをは」について理解していると自信を持って言える道麿に生まれ変わりました。

 宣長は答える。
 「てにをは」についてのご意見、全部私の考えと同じです。私は長い間この問題を考えてきて、やっと「てにをは」の一番大事なことを見つけることができましたが、はたして理解してくれる人はいるものでしょうか。たとえ、誰も理解してくれなくとも、道麿さんだけでも私の仕事を評価してくださるなら、私の努力は報われたというものです。悦びに耐えません。

【原文】
  「○此折り本、十ヶ年以前に出し給へるを、それより此かたも、よりより見ざりしにあらず、見は見ながらとくと得られざりしを、此春、玉の緒をあらあら見奉りてより、大かた得られて、大にあきらけくなりぬ、此ごろは、夜のねざめも専ら古歌にあてて見るに、悉違ふ事なし、神代より今に及びて、かくてにをはは違はぬ物なるをと、いといたうたふとくなん(中略)もし人ありて問ん、てにをはをしれりやと、道丸答てしれりといはん日もあらん、又しらすと答ん日もやあらん、されど心の底には、不知としも思はじ、然るを、今日と成て、去年を思へば、実には其事しらすてくらし来りし也、然るを、此春、松阪より帰りて後は、誠に誠に其事しれる道丸と生れ替りたり。」
  「(宣長)てにをはの事の玉へる条々、ことごとく当れり、己れ多年此事に心をつくし、自然のてにをはの妙所を見出たるに、誠に然りと信する人、天下にありやなしや、よし知る人なくとも、道麻呂主一人己か功を知り玉へは、己か功むなしからずと、悦ひにたへすなん」(宣長全集・6-416)


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