谷川士清先生略年譜 (36歳〜42歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

  1744 年 寛保4年 ◇ 36歳

○ 3月17日、門人田中市之丞光胤、神道伝授の誓文を出す。

○ 5月、小野田重好『蜻蛉日記』書写、頭注を加える。

1745 年 延享2年 ◇37歳

○ 2月18日、諸家蔵本で『日本書紀』校合。

※寛保元年10月26日条参照。

○ この頃、上洛、帰郷。

★ 6月6日、弟順節(義岳順節居士)没。
     「ふらば降れさらでもかはく袂かはうきみな月の夕暮れの雨」。

○ この頃、在京。

1746 年 延享3年 ◇38歳

○ 3月6日、両宮参拝。
      「そこきよき流れて遠き今もなを神代ふりにし五十鈴川波」。

○ 4月1日、娘八十子誕生。

※→享保20年  山下氏女との婚儀条

○『日本書紀引証別注』成るか。

○『伊勢物語奥旨秘訣』書写か。

1747 年 延享4年 ◇39歳

○ 12月6日、「いかで此くにに生れて神の道ふみもかよはぬ人しやはある」

1748 年 延享5年・寛延元年 ◇40歳

☆ 1月、樋口宗武、堀景山『百人一首改観抄』刊行。

○ 3月上巳、『日本書紀通證』例言書く。この年同書の稿ほぼ成る。

○ 4月、『鋸屑譚』(オガクズバナシ)起稿。

※巻首「蘇軾詩高論無窮如鋸屑、延享戊辰四月初稿九月十七日了」1-口絵 版本2冊、洞津書林停雲舎。但し稿本は4巻以上有ったか。1-27 稿本は漢文(写真12-22)、版本は読み下し。稿本には賀茂季鷹加筆あり。本来漢文で書かれたものであるから書名も「キョセツタン」と読むか。

○ 9月17日、『鋸屑譚』巻1成る。

  1749 年 寛延2年 ◇ 41歳

○ 2月、松室大隅重殖、誓約を出す。

※「誓約之事、一、此度樋口老先生依商量秘巻謹而拝見辱畏入存候、誠年来之大望一家秘蔵不過之、他洩堅可相守候者也、仍而誓紙如件、寛延二年巳二月、松室大隅重殖、谷川先生、座下」1-50

○ 9月1日、古世古神社に正英伝与の鳴弦弓矢奉納。(現在、国魂神社に保管)

※箱書「享保十四歳次己酉閏九月朔旦、橘諸兄公之孫薄田氏橘以貞直伝玉木氏橘正英造之、門人谷川士清謹識、寛延第二己巳歳九月朔旦納之」4-69

※「鳴弦伝」や「蟇目伝」は、「百千里外の梟敵邪神を射斃す神術」(『神代巻藻塩草』巻4)

※鳴弦、弓弦(弓弦を鳴らすこと。悪霊退散し汚れを払う。『御堂関白記』寛弘5年9月11日「御湯鳴弦五位十人、六位十人」

 

1750 年 寛延3年 ◇42歳

○ この年、吉見幸和『神代直説』成る。士清、正親町実連意見を付す。

※『吉見幸和集』(国民精神文化研究所・昭和17年) 
   士清の垂加神道学説がうかがえる。

※正親町実連(1720〜1802)は玉木正英の師・公通の養子。
 『日本書紀通證』序を書く



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