谷川士清先生略年譜 (43歳〜48歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

1751 年 寛延4年・宝暦元年 ◇43歳

○ 閏6月、安芸国竹原の吉井正伴から「筒鈴斎箴」を贈られ、
 「読筒鈴斎箴」を返す。

※奥書「延享四年歳次丁卯十一月望日吉井正伴謹書」(「鈴斎箴」)・「寛延辛未之歳閏月洞津谷川士清識」(「筒鈴斎箴」)4-189  筒鈴斎は正伴。「箴」(シン)は戒めの文章。漢文の一つのスタイル。

○ 兵頭守敬来訪。

○ 12月、『日本書紀通證』全35巻稿成る。

※『恵露草』序「宝暦紀元臘月、日本書紀通證脱稿ス」1-242

○ この頃、唐崎信徳、洞津塾に遊学。

※唐崎信徳(常陸介、士愛、八百道・1737〜1796)父信道は安芸磯宮八幡宮神官。士清に師事。垂加神道を説く。安永5年宣長を来訪。高山彦九郎と意気投合。その後を追い自害。

 

1752 年 宝暦2年 ◇44歳

○ 2月22日、上京。3月5日、帰宅。
      この間に、上田摂津守、寺本壱岐守等に和歌所入門を打診する。
  4月29日、有栖川宮職仁入門を寺本壱岐守の仲介で願い上げる。
  5月7日、口入入門契約。11日、御題に付き詠草と太刀馬の目録献上。

※『恵露草』序1-242・12-22

○ 8月1日、「日本書紀通證(後)序」撰文、洞津森内其章染筆。

※「日本書紀通證序」→宝暦3年正月、同4月、宝暦6年夏条参照。

○ 9月15日、門人村田元啓、神道伝授の誓文を出す。

☆村田元啓有次、10月2日、『神道理気説』、11月7日、『古今集六鳥八栢』、『木匠考口授』、12月2日、『続神皇正統記』を谷川翁から伝授し書写。



  1753 年 宝暦3年 ◇ 45歳

○ 1月、留守希斎「日本書紀通證序」書く。但し、不採用。

※ →宝暦3年4月

○ 2(11)月2日、門人森内理兵衛、神道伝授の誓文を出す。

※ 11月説1-49

○ 4月、西依成斎「日本書紀通證序」書く。但し、不採用。

※ 「尚賢聞之師云、留守、西依之二序与予素意所背馳者不為不多、併考諸通證之旨可以具矣、但景?後序得余素意」(「八百会艸抜抄」)3-208→宝暦3年4月

○ 5月16日、兵頭守敬『中臣祓風水草管窺』(玉木正英著)を
      外宮神庫に奉納。

 

1754 年 宝暦4年 ◇46歳

○ 1月5日、上京。

○ 1月8日、有栖川宮に謁見。「十体和歌」短冊を賜る。

※ 4-4

○ 正月12日、帰郷の時、鈴鹿山にて詠有り。

○ 2月、門人石井五兵衛正道に神道許状を授ける。

※「神道許状、垂加霊社直授相承之神道諸伝、以吾子篤志今悉面授口訣畢、吾子亦宜守誓訓之旨、伝之其人、慎莫妄授与之、谷川士清、宝暦甲戌二月、石井正道丈」、「神道相伝四箇度之謝礼白銀一千七百両令受納畢、以来以此道伝人、則堅守此礼式、可令相伝者也、宝暦四歳(年)二月谷川淡斎(花押)、石井仁五兵衛殿」1-15・4-152

※「義公(徳川光圀)は、契沖の「代匠記」の仕事に対し、白銀一千両絹三十匹を贈った。今日にしてみると、どれほどの金額になるか、私にははっきり計算できないが、驚くべき額である」(『本居宣長』9章・小林秀雄) 『万葉代匠記』精選本成立は1690年。


1755 年 宝暦5年 ◇47歳

○ 3月、門人石井五兵衛正道に『風水草』を授ける。

☆ 4月30日、宣長(26歳)『倭語通音』(『日本書紀通證』)を書写。

※ 奥書「右倭語通音図者谷川氏所撰日本書紀通証所載也、頗有発明
  故今写之以備後考云、宝暦乙亥孟夏晦日、本居春菴記」

○ 4月、『天口事書』(テンコウジショ)校正。

※ 『天口事書』鎌倉時代(度会行忠か)編纂。豊受大御神の解釈など
  伊勢神道説。

★ 8月2日、妻山下氏(真総智法大姉)没。


1756 年 宝暦6年 ◇48歳

○ 夏、権大納言正親町(藤原)実連「日本書紀通證序」撰文。

○ 冬、尾張の堀尾秋実より来状。



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