谷川士清先生略年譜 (49歳〜56歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

  1757 年 宝暦7年 ◇ 49歳

○ 春、尾張の堀尾秋実へ返歌。

○ 5月25日、有栖川宮職仁親王に拝謁、御盃拝領。
      『日本書紀通證』を拝呈。

※「親王御直日記」4-173

○ 6月4日、桃園天皇(17歳)、『日本紀』聴聞開始。

※ 講師は徳大寺公城等。講義の前に「竹内式部を召寄せ、再反吟味錬磨いたし、其の上にて言上致し候事に候」(徳大寺公城手記)。後に式部が尋問の際、京都所司代の面前での『日本紀』講釈は、内容について講釈するという尋常一様の物ではなく、全く古を引いて今を論じたものであった(『竹内式部』大久保次夫)。

☆ 10月、宣長(28歳)、師・堀景山遺品『藻塩草』5巻拝受。
      松坂に帰郷。医を業とする。

○ この年以降、宝暦二桁以前、『和訓栞』士清自筆本(石水博物館蔵)成立か。

※11-32・稿本写真12-19


1758 年 宝暦8年 ◇50歳

○ 5月、契沖『勢語臆断』書写(異本校合)。

○ 7月、鎌田五根に「三重極秘伝」授ける。
    「こよろぢのいそぢの夢の枕には波のよるよる雪ぞつもれる」。

○ 京都医師松本氏女大江を娶る。

1759 年 宝暦9年 ◇51歳

○ 音弥生誕。

★竹内式部、重追放となり伊勢に来る。


1760 年 宝暦10年 ◇52歳

○ この頃、蓬莱尚賢入門か。

1761 年 宝暦11年 ◇53歳

○ 5月27日、門人宇佐八幡大宮司宇佐公綏、公古、神道伝授の誓約を出す。

※「誓約」(公綏)4-128・12-10

○ 6月、蓬莱尚賢、『書斎見聞録』筆(12月24日まで)。
    中に「和訓栞後序」。

○ この頃、山崎闇斎墳塋修繕資金を蓬莱尚賢、石井正道、と拠出。

○ 秋、唐崎信徳、来訪。

○ この頃、八十子、尚賢と結婚(北岡説では翌12年年初)。



  1762 年 宝暦12年 ◇ 54歳

○ 5月、『列朝宇佐記』を編む。
    跋文に「洞津谷川士清名家也。昔者受日本書紀於五鰭翁。又受万葉集
    於樋口宗武。爾後退而枕藉(チンシャ・寝ること)経伝。旁漁猟諸子
    百家。博学洽聞当世」

○ 冬、『日本書紀通證』刊行。

※刊記「伊勢津谷川淡斎著刻板于家塾、五条天神宮蔵版、宝暦十二年壬午冬刻成」

○ 11月25日、『日本書紀通證』を北野天満宮に奉納。

※「納票、日本書紀通證二十三本一部、右被奉納干北野天満宮書倉而其深志以伝将来矣、後世以之為證、宝暦十二年十一月廿五日、北野宮神事奉行、宝暦十二年十一月廿五日、梅松院(印)谷川淡斎丈」1-25・4-No.5・12-16

○ この年、山崎闇斎墳塋完工式に列席。

○ この頃、伊勢で講義。?

○ 12月12日、『多気窓蛍』(タゲノソウケイ)書写させる。

※奥書「元禄元年十一月晦日、兵庫忠治。寛延三庚午年二月、従四位下度会末雅謄。宝暦十二年十二月十二日使人写之、士清。右多気窓蛍二冊者、我岳翁谷川子嘗得之於本国白子邨某生者、使早田定玄謄写焉、而誤謬烏焉者不少矣、翁復校之且頭注之云因今以翁之本謄写之、琢斎写誤尚在、読者恕旃、宝暦十四年甲申夏四月中澣、洞尚賢。安永六年丁酉六月朔日書写校合、本居宣長(花押)」(記念館本) 伊勢国司・北畠材親が書いたとされる随筆(但し偽作)。

 

1763 年 宝暦13年 ◇55歳

○ 2月13日、尚賢宅来訪二泊。両宮参拝。
      「天照すみかのどかに霞むなり神路の山の春の夜の月」。

○ 3月、『日本書紀通証』を林崎文庫に奉納。

○ 4月、『日本書紀通証』を豊宮崎文庫に奉納。

☆ 5月25日、賀茂真淵と宣長(34歳)対面。

○ 7月、臼井雅風編『神祇破偽顕真問答』を蓬莱尚賢に写させる。

※「宝暦八年戊寅春日借諸平安某氏謄写以蔵焉、伏水龍公美、宝暦十三年癸未之秋七月洞津谷川翁借之彦根文学伏水艸草廬氏之所蔵焉、因令尚賢写之於伊斎宇知津宮、雖然字画儘有可疑者、但竢侘日云、介麿、琢斎荒木田尚賢、時八月上(以下略)」3-229

○ 8月、『日本書紀通証』を内宮文殿、外宮神殿にそれぞれ奉納。

○この頃、医学精励につき津藩の扶持を受ける。

★この頃、竹内式部、宇治を追われ山田郊外に移る。


1764 年 宝暦14年 ◇56歳

○ 1月、石井仁五兵衛七十賀歌を詠む。

☆ 1月、宣長(35歳)、『古事記』研究に本格的に着手。

※12日『古事記』、同月『先代旧事本紀』を共に度会延佳本で校合。
 18日『日本書紀』の講釈開始。同月、真淵に入門。

★ 3月11日、父義章(順端)逝去。享年84歳。

※「十一日、鉄山大機居士、明和元甲申三月十一日、谷川順端、行年八十四」(福蔵寺過去帳)1-41

○ 10月19日、荒木田経雅『歌道筒守』書写。士清本を写すか。

※ 3-267。『歌道筒守』は享保20年5月より書写。
  また、安永元年10月21日大河内に伝授。

1751〜64 年 

○ 野田で銅鐸出土。入手。現在、専修寺所蔵。

※「往年宝暦ノ頃カトヨ安濃郡野田村ノ農次右衛門トイヘル者其屋後ノ竹林中ニテ掘得タル銅鐸現ニ高田門主ノ秘庫ニ蔵セラル…当時府下ノ医谷川士清澹斎米壱苞ヲ以テコレニ易ヘ家蔵セシヲ其子士逸順端ノ時門主ノ需メ玉ヒシニ因テ献セリトナン」『銅鐸考』稿(『三重県史』資料編考古2)



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