谷川士清先生略年譜 (62歳〜63歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

1770 年 明和7年 ◇62歳

○ 1月、小篠敏、士清から『神祇祭祀略』借覧、書写。

※『神祇祭祀略』天野信景著、奥書「明和七年寅正月、借勢州洞津谷川氏本謄、小篠敏」3-247

○ 3月15日、神宮寺の「三十六歌仙扁額」色紙和歌を染筆。

※ 12-40

○ 7年8月12日、宣長、士清宛書簡。

※書簡25。歌添削の礼。宣長長歌「麻積機殿によみて奉れる」評への反論、
『古事記伝』一巻を見たという「一日の御物語」への返事。
『日本書紀通証』は神代しか見ていない
ので逐次拝借したい。

>>「8月12日付書簡」

○ 11月21日、書簡執筆(宣長宛か・北岡説)

※来訪大慶・唐崎の松のこと・近々訪問の意もらす。

※士清書簡14通残る。宣長は来簡をあまり残していない。現存する中で一番多いのが、母の68通。次いで賀茂真淵・蓬莱尚賢各16通。宣長書簡は10通が確認されている。

○ 11月頃、宣長に『和訓栞』稿本を送る。〈第1回借覧〉

※明和8年2月7日付宣長宛士清書簡に「客臘以来御報延引」とあり、文意から推定。14-2 三澤薫生氏の推定では明和8、9年の二年間で都合十回、ほぼ清逸本40冊全巻に相当するものを借覧。

○ 12月下旬頃、宣長と対面か。

※明和8年2月7日付宣長宛士清書簡に「臘々中早々得御意候」とある。明和7年12月21日、岡藤左衛門離縁のことで宣長津に行く。岡は、隠居家小津源四郎末男。

○ この頃、『旧本伊勢物語考』成るか。


  1771 年 明和8年 ◇ 63歳


★ 1月22日、元弥没。享年11歳。

☆ この年、おかげ参り。 

○ 2月7日、宣長宛書簡。『和訓栞』稿本を送る。〈第2回借覧〉

※来簡98。末子元弥疱瘡で死去。「唱平」のこと。「字音かな遣ひの書(『字音仮字用格』)為御見被下、さてさてよくも御考定、至宝之書と奉存候き、こなたにも写し留申度」。「神今食」。『伊勢国風土記』(天長風土記か)書写。「てにをはの草子(『てにをは紐鏡』か)御認置候旨、御浄書出来候節拝見仕度奉存候」。『語意』紛失。『江次第』のこと。『関市令』(曽我部容所校訂)のこと。栞返却を請う。また見次第次々送る。『出雲風土記』進呈、『勢賀風土記』落手。

※『伊賀伊勢風土記』奥書「明和七年庚寅十二月十九日倉卒書写畢、本居宣長」(記念館蔵)

※宣長宛書簡(来簡101)は本紙の付紙か。「倭訓」、「洞津」など『倭訓栞』について宣長説に反論。※14-3

○ 2月23日、宣長宛書簡。『和訓栞』稿本を送る。〈第3回借覧〉

※来簡99。『栞』への意見に感謝、痘痕流行医事多忙。『栞』5冊進呈。「古事記伝五の冊御成功(稿)の節かし送られよかし」。橋村正身(マサノブ・荒木田久老父)『中臣祓辞古訓』は一言もうけられぬと評す。木造の桃の便り外に問くのみ。※14-4

○ 4月〜9月頃、『和訓栞』稿本を送るか。〈第4回借覧〉

※14-4

○ 6月、大河内重平、士清写『中臣祓風水草』を転写。

※ →1727年3月。

☆ 10月9日、宣長(42歳)『直霊』脱稿。同月、『てにをは紐鏡』刊

○ この頃、『和訓栞』稿本を送るか。〈第5回借覧〉

※14-4

○ 11月2日、宣長、士清宛書簡。

※書簡22。「職原抄」講釈開始。真淵から聞いた「宋の職原」(真淵書簡・来簡88)などを問う。真淵の『語意考』借用の礼。『栞』4冊、「よるひるよみ侍る」。意見を書いたので残りの巻も次々に見せてほしい。『出雲風土記』借覧の礼と感想。洞津よりも安濃津の方が良い。「栞」という題は面白い。白子の村田氏『祝詞考』所持の由借りてほしい。南朝の詳しい記録を教示依頼。自詠7首添える。

○ 11月5日、宣長宛書簡。『和訓栞』稿本を送るか。〈第6回借覧〉

※来簡100。三・四年隠家の住まい(安東長岡の隠宅か)をしていたが
「くすしのわさ此頃にいたりいそかはしく」
、国主公(八代高悠か)より授命の書など三種について下命有り。宣長「職原抄」講釈について。『栞』、『出雲国風土記』について。白子の村田氏『祝詞考』の件。『南朝紀伝』を勧める。また自分は雅情地を払う感じと謙遜。※14-4

○ 12月10日、宣長、士清宛書簡。

※書簡23。『栞』5巻読了返却、「まきことにめつらかなる事共見え候て、ひろく見給へる御ちからのほとあらはれ候ていとめてたく、世のたからと成ぬへき書と、あさからすめて候事に候也」。宣長貸出の真淵『伊勢物語古意』のこと。借用の『続神皇正統記』→享保15年3月24日・『尚歯会記』は返却。『古事記伝』貸出。忌憚ない評を請う。

○ この頃、『和訓栞』稿本を送るか。〈第7回借覧〉

※14-5

○ この年、宣長宛書簡。

※来簡101。「倭訓」、「洞津」など『倭訓栞』について宣長説に反論。「漢音呉音弁(『漢字三音考』初稿か『字音仮字用格』)面白事ニ候也」。



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